2011/05/23

ピアノとリズムと、衰えと身体知

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今週末はライブということで。意外にも間が空いてしまって、今年初のステージでございます(大丈夫か・・・?笑)。歳が行くにつれて出演機会が減っていってしまっているのは悲しいことですが、やっぱり本人のモチベーションに拠る割合が増えていってるのは、大学のバンドサークルで一緒だった周りの人たちを見ていても思う。好きでやりたくて仕方ない人は、自ら動くし、同じようなモチベーションの人が集まってくる。逆に、好きなんだけど自分から動いてまでやりたいとは思わない人は、よほど上手くない限りは徐々に出演機会が減ってしまうのは仕方ないかも知れない。特に自分がいたサークルはフリーバンド制なるものを取っていたので、ステージの度にバンドを組んで、本番が終わるとそのバンドは解散するというやつ。決まったメンバーでの固定活動がないので、売れっ子は売れまくるし、誘われない人はかわいそうなことになる。


自分も本音ではもっと音楽活動を充実させていきたいんだけど、なかなかどうして忙しさにかまけて流してしまうわけで。まあそれを「そこまでのモチベーションということ」と言われてしまうとそのとおりなんだけど。どうせやるならちゃんと本気でしっかりやりたい!みたいな面倒くさい意地みたいなものもあって(それでも学生時代よりは大分お楽しみ重視に軟化したと思うんだけどさ)、それがまた最初の一歩を重くしてるような気もするわけで。


ピアノなんてのは、個人でも成り立つのだから極論、一人でも好きな人は勝手に弾くと思うんだけど、自分はどうやらそうじゃないみたいなのですよね。やっぱり人と一緒に(お客さん含む)ひとつの曲なりひとつのステージを作るのが楽しいし、そう考えるとバンドとか曲は、その思いの器でしかないのかもしれない。学生のときも音楽が目的になったらあかんと思って、思いが乗るために音がどうあるかをなるべく考えようとはしてた。ただまあ、ただただ無条件に楽しい!みたいな「無邪気さ」が結果的にハッピーを呼ぶこともあるわけで、そこらへんはおそらく、考えすぎないほうがいいんでしょうね。


一番衰えるのは、リズムだと思う。リズムは、運動神経なんですきっと。反応反射というか。楽器を弾く上で、基本的に力は必要ない(必要なくても弾ける体の使い方を体得できれば)として、次に大事なのに衰えてしまうのはリズム感・ノリ。思ったところに音が入らなくなる。感覚がいいときは、うちは個人的には”ポケットに入る”って言っているんですけど、そこが一番、しっくり気持ちいいよねっていう位置が勝手に見えるし、そこに音が放れる。でもそれは脈拍みたいな、とても身体に近いところでビートを感じられていないと出来ないことだし、頭でカチカチ刻んでいるうちはムリなんです。というか、頭で数えている時点でそれはもう、弾くときにはコンマ何秒か遅れているわけで。だれかが出してくれるビートを受信してからプレイするのではなくて、自分からビートを出して、それが他人が出しているビートと同期するあの感覚は、やっぱり衰える。



Ben Folds Five / Philosophy
運動神経がいいプレイと利いてこの人がまず思い浮かぶ。
運動神経がいいと、結局一番自由になれる。よく考えると当然のこと。
メンバーと同期する、お客さんと同期する。
そのためには自分の中にもモノサシがないと、絶対に同期しない。
踊らせたいなら、踊らないと。



でも、この、自分の中の何かが「衰える」ということを実感する感覚って結構貴重だと思うんです。それは、腹がたるんだとかいう外見的特徴ではなくて、あくまでも、感覚として理解すること。すごく身体的で、普遍的な「衰え」っていう感覚は、自覚することで結構発見がある。それって、「出来るか出来ないかギリギリのこと」に挑戦しない限り、絶対気づけないことで、「あー衰えたわーやべー」って思うことって、そう考えるとそれ自体は悪い気づきではないとも思う。


問題は、気づいたあとですね。今週末はいいライブにしたいので、身体知を取り戻そう。ふんふん。

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