2011/10/02

「せりかさんは健啖家だ」というセンサリング

Check    Clip to Evernote

大変今更ながら、宇宙兄弟を読みはじめまして、なかなかこれが面白い。単行本を一気読みして週刊に追いつこうというパワープレイをしているので結構時間かかってますが、シャロンの病気が発覚するところまで行きました。んでね、伊東せりかっていうキャラクターがヒロイン的な位置づけで出てきて、映画ではキャスティングが麻生久美子だっていうんだけどそれは違うだろとか思いながら、彼女は大変な「健啖家」だっていうわけ。なにそれ健啖家って?で、辞書で引くと、”食欲旺盛な人・大食漢”だとのこと。まあ大食いってことね。


こういう何気ない日常の、何気なく出会った、ちゃんと意味を説明できない単語を、その場でちゃんと辞書を引いて明らかにしておくことってものすごく大事だとふと思い出しまして。もちろん、健啖家の意味を知らなくても人生にさしたる支障はないのかもしれない。でも、それを一つ知っているとさ、大食いとか大食漢とかとは少し語感とニュアンスの違う形で、よく食べる人のことを表現できるわけじゃないですか。これって表現者としてはとってもとっても重要。彼女のようなきれいな女のひとに、何となく大食漢っていう表現より健啖家って言ったほうがいいみたいなこともあるかもしれないし。

言葉をたくさん知っていると、物事の細かい意味合いや感情の微細な差をセンサリングできるようになる。言葉を越えた表現は素晴らしく確かに存在するけど、同時に言葉でいけるとこまで行こうと普段からセンサーを磨いていけたらなあ。基本、マスメディアからのほっといても入ってくる言葉は、送り手側が届きやすい形に平易に書いてあるので分からんことはあんま無い。だからこそ、能動的に本を読まないと言葉への造詣は深まらない。まあそれがたとえ、宇宙兄弟からでもいいと思う。大事なのは、流さないですぐに引くこと。


ある人から聞いた話ですが、江戸時代の伝説の関取「雷電為右衛門」と、21世紀の大横綱「白鵬翔」がもし相撲を取ったらどちらが強いかという話。その人曰く、雷電のほうが絶対に強いと。古来、日本語には現在公用語として使われているよりもはるかに多い種類の、「体の部位を表現する単語」があり、それはつまりその部位を、隣接するほかの部位と境界線を引いたある特定の領域として、体で自覚しているということになると。当時のように細分化された体を表す言葉があったからには、現代人より江戸の人々は自分の身体にもっともっと自覚的で、その分、体を思う通りに操れた度合いが強いんじゃないかっていう仮説なんだけど。西洋から軍服が入ってきて、体の部位は服によってより大きなくくりでしか自覚されなくなり、その当時の身体能力は失われたということなんだけど、確かに和服は一切の区切りのない一枚の布でできているから、服によって体の部位が規定されなかったのかも知れないし。

日本語ってそう考えると素晴らしいよね。色を表す言葉の多さとかよく例に挙げられますけど、いかに細かい森羅万象をご先祖様方がセンサリングしてたのかわかる。英語もええけど、日本語をもっと知りたいし、そこにこそ世界に刺さるコミュニケーションのヒントがある気がする。なんてね。


何が言いたいかというと、やはりある言葉を知っていることで、その事象をセンサリングできるようになるということなんだろうなあと。くるぶしという単語を知らなければ、あの骨がこぶになったあたりを感覚的にセンサリングできないということで。身体に対してだけじゃなくて世の中もそうなんだろうなあと思うん。だから、人に説明できない単語に出会ったら、辞書を引きましょうと思った次第です。

0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
Mobile Edition
By Blogger Touch