昨日のことですけど。
夜遅くまで外でメシ食って、寒いわーとか言いながら帰宅して。帰ってきて温かい風呂に入った瞬間、なぜか、『あー寒っ!』 と言ってしまった。あのほら、寒いところにいて、急にあったかい風呂に入るとぞぞぞぞってなるやつあるじゃないですか、あれに対して出た、とっさの一言。
まったく無意識だったのに、不思議だなあと思って。多分、外で北風を身体に受けているときよりもどのときよりも、その瞬間が自分の気持ちにとって「寒かった」んだと思う。実際寒いところにいるより、 風呂があったかく感じる季節になったということから、 寒くなったことをより強く感じている、みたいな。
ちょっと哲学的になるけど、おそらく世の中の事実という事実は、自分という心のフィルターを通ってでしか自覚できなくて、「絶対事実」なんてものは自分にとっては存在しないのかも知れないなあなんて思ったのね。結局は、何を思うのかが、その人にとっての事実。いや事実っていうと語弊があるから、ホンシツとでも言っておきましょうか。”寒空から風呂”という行動が自分の心にもたらした本質は、「すっかり寒くなったわあ」という体感だったわけで、その風呂が何℃だったかよりも、その感覚の方が勝ったということなんでしょう。
多分、「対比」というルールが体感には存在しているんだろうね。そのときの事実よりも、それによって相対化される反対側の事象に、より心のスポットが当たる、的な。そんなことを湯船でふと考えていたわけです。
ちなみに、コンマ何秒後には、「いやーーあったけ~~~」ってなってたんだけどね。でもこういう心の気づきをちゃんとキャッチできるように、常に構えていたいものです。なんてメモ。
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