2012/07/06

ファクトとジャンプ その1

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今日の徒然はもしかしたら同業の人しか分かんない内容かもです笑


最近、仕事をしていて思うのですが、つまるところこの、コミュニケーションを構築することっていうのは、ファクトとジャンプを追求することだけかもねっていう整理。



ファクトっていうのは、実のところ、どうなのよ?っていうことで。

「実は、女子高生はアルバイトを、時給よりも制服のかわいさで選んでいる」
「実は、カメラ初心者は一眼レフを、スペックではなく”プロっぽい雰囲気かもしてるか”で選んでいる」
「実は、テレビは一人暮らしの人にとって、番組の内容よりも存在そのものが安堵を与えている」

とかとか、今までいろいろな、「実は人って〜」らしきものを掘り当ててきたと思います。
これって、多くの場合、その本人に聞いてもそのようには応えてくれなくて。
なぜかというと、自分でもうまく言えない、把握できていないから。




「先生、頭がめちゃくちゃ痛いんです」

って言って医者に来た患者を、

『あ、頭いたいなら、鎮痛剤出しときますね』

で終わってしまうのか、

『よくよくいろいろ調べてみたら、原因が虫歯だと分かったので、歯の治療をします』


まで行けるのか。それが、ファクトの追求だと思っている訳です。




なんでコミュニケーションがうまくいっていないのかは、
クライアントは、実は正確には分かっていなかったりする。
それを、しっかり診察できるのか。
なんで、この商品を何となく買う気にならないのか、
買ってほしいその相手は、そこまで深く考えてなんかくれなかったりする。
それを、しっかり観察できるのか。
その精度を追求していくことこそ、ファクトの追求。




スマホとクラウドに始まって、世の中どんどん、総オンライン化・総インターフェース化していくと思うのは、チームラボの猪子さんが言う未来予測で、それは僕も避けられないのかなあと思います。それが果たして本当に人間の想像力をかき立てるものなのか、置き換わって失わせるものなのかはまだ分かりませんけど、少なくとも「行動のファクト」はどんどん取れるようになってきている、その人が望もうが望まざるがを関係なく。ビッグデータってやたら言われているのは、今までの本人に答えさせるようなアンケート結果がいかに不確かで、行動観察×統計学のビッグデータがいかに確からしいかが、注目されているから。

でも、これは僕がnoproblemの広告学校に2期生として通っていたときに、ゲスト講師で来ていただいた元W+K、現ネイキッドの吉田透さんの受け売りだけど、「慮る」ことが出来るかが、結局、ファクトを追求するつまるところだと最近は腑に落ちてます。行動のファクトが信じられない精度で取れるようになってきて、今まで大御所マーケターやクリエーターが、えいっ!って何となくそれっぽい深層心理っぽいことを言い切って突っ走るような、そういう怪しげな仕事は、事実だんだん通用しなくなって来ていると感じてる。でも最後はやっぱり、その行動のファクトから何を「慮れるか」っていうのは変わらないのでしょうね。というか、慮れていないと、どんなにファクトが確からしくても、ジャンプが怪しくなっちゃうのだと思う。慮れていない人には、相手にとって望ましい未来を共有してあげられないから。


慮ることは、つまるところ想像力だったりするのでしょうね。
自分ではない誰かが、何を考えて何を望んでいるのかを、想像する。
想像するときの大いなるヒントとしての、ファクト。それの追求。


これまでの時代では考えられなかった行動のファクトの精度が分かり始めているので、
若干、勝手に一人でワクワクしているわけなのですが、
慮りの気持ちを忘れずに、企画考えていけたらね、っていうメモでした。


ジャンプの話が書けなかったので、また今度書きます。


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