前に【せりかさん】のポストで書いたけど、言葉とセンサリングについてのメモです。
イヌイットの人々のコトバでは、雪を100種類以上に呼び分けるそうです。日本語では、粉雪・牡丹雪・霙混じりの雪くらいしか思いつかないですけど。それだけ、彼らは「雪」という事象・物体を高精細にセンサリングして、言葉として互いに伝えあっているということです。
そう考えると、コトバは目なんだなと。
いや、目だけじゃなくて、コトバはその人の感受し得た世界なんだな。
その人がどれほどの「解像度」で世界をセンサリングできているかが、言葉はもちろん、その人の作るアウトプットのクオリティに直結するのだと思います。
自分が感じられないものは、絶対に人に伝えられないし、人にもその感じを味わってもらえない。ものすごく当たり前のことなのに、人はよく「知ったか」という形でそのルールを破ります。広告作りもまさに、気をつけないとそういうことをやってしまうのだよね。
世界を、もっと感動する必要があるですね。
企画力とかコピーライティングとか、そういう問題以前に、
どれだけ感動して、どれだけ解像度をあげられるか。
いろいろやりたいこと、たくさんあるから、やっていこうかね。
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