2013/10/06
子役は何を演じているのか?
天才子役という存在が、どうも苦手である。
一言でいうと、あんなに不自然でまがまがしいもんはないと思うわけです。
いや、芦田愛菜ちゃんには何の罪もないですよ。一生懸命頑張る、大人をして頭の下がる小学生だと思う。けどけど、子供を表現するうえで、天才性はいらないよね。そんなの子供ではないし、子供に天才性を強いなければ子供の子供らしさを表現できないのは、それは演出する側の限界であるよと。まあ、だったらどうすればいいのかは、ドキュメンタリーでもない限りは解決しないお話なのかもとも思ったりしていましたが。
「そして父になる」を観て、やってのけられたなと思ったのも、ついこないだの初体験だけど。奔放で予測不能、大人の想定を上回って動く子供の子供らしさがそこにはあって、大人がそれに面食らう困惑の一瞬がまた、本物で。素晴らしかったわけです。是枝裕和監督。この人は子供に本を渡さないし読ませない。その場で、だれがどうきて、どう動いたらオッケーなのかを全部、口で伝える。とっても不確かでリキッドな、指示というより「お願い」を託す。そんなやり方が、あの画を生み出すわけで。再現性を排し、ドキュメンタリーのようなやり方で子供を撮る。
チャンスオペレーションというプランニング技法がありまして。中身についてはコントロールしいらずに、そこに残す”どうなるかワカラナイ余白”の幅とあり方とその周りを企画するやり方。リスキーだからこそ、そのワカラナイの中でアクトしてくれる人や事象にある程度、信頼がないとできない。自由とありのままに任せる、というと簡単でだれにでもできそうだけど、是枝さんのチャンスオペレーションに、感服した映画でした。この人は、子供のもつ子供らしさを信じている人だなあと。それが一番、なんだか見ていてうれしかった作品でした。
裏返すと、天才子役に天才子役をやらせてしまう大人の、
子供性を信じてあげられてない画が、苦手なんだなともどってきた、
そんなメモでした。
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