陸上選手の為末大氏の発言をふとした本で読むことがあって、内容に納得すると同時に、この人はやっぱり、「本質的異端児」やなあと思ったので、ちょっと抜粋。
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固定観念に縛られることの怖さは、陸上の世界でもいえることです。
僕らの世界でも「スタートダッシュの姿勢はこうあるべき」といった教科書が存在するんですね。
でも前の時代に常識だったことが、次の時代に覆されるといったことは何回も起きています。
たとえば今は、「スタートの時には、前足と後ろ足の間隔はあけないほうがいい」とされていますが、
以前は「広げたほうがいい」というのが常識でした。
常識破りの方法で記録を作った選手が現れると、その選手の方法は新しい常識になる。
その繰り返しです。
(中略)
本来は柔軟な思考の持ち主でも、少しでも情報を軽視したり、
先入観にとらわれたり、慢心した瞬間に、頭の堅い人物に変身します。
正しい方法を探り出すことは大切ですが、「これで間違いない」を思ったときから、
敗北は始まっている。
常に現実を見据え、考え続ける努力をしている人だけが、
柔軟な思考を持ち続けられる
~「文蔵」 2007年4月号 (PH文庫)~
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常識の外側に行くためには、常識を知らないといけない。ということで、非常識な人と、常識を超えられる人は違うわけだけど。ただ、常識を知った上でその外側にいくのは、相当タフな精神が必要なんだろうなあと、彼のこの発言を聞いていて思う。
為末選手は専属のコーチを持たず、練習方法や練習量、大会への出場計画をすべて自分で決めるという世界的にも珍しいアスリート。そんな彼だからこそ、常識や先入観にとらわれず、自分の頭を使って本質的にモノを考える訓練ができているんだろうね。
大事なのは、「本質力」なんだろね。”常識にとらわれないようにしよう!”と言っている時点でもう囚われている。問題はそこじゃなくて、「本当に大切なことは何か?」を自分の頭で考えて、心眼で見据えることでしょう。それは、日頃から”思考”しないと身につかないんやろな。
一個前のエントリーの「身体で思考する」ことも、それこそ自分で思考する最たる例だろうし。何でも答えが転がっているこの世の中で、あえてコーチをつけずに一人で考えつくす為末さん。本当に本質を見ようとしている人は、世の中的には異端になるのかもなあなんて、思ったり。
偏る勇気を大事に、吸収吸収!
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