今まで世の中になかったような革新的な企画を生み出している人は、すべからく物知りで好奇心旺盛であるってことは、間違いなくいえるんじゃなかろうか。
アイデア発想の『基礎体力』として、そして日ごろの”幸せ握力”を上げるうえでとても重要な『雑談力』向上のトレーニングとして、うちが自分の家のトイレに置きっぱなしにしている2冊。どちらも300ページくらいある辞書風の本で、物事全般対象の前者と、人物にフォーカスした後者です。
最近読んだ中で面白かった気づきはね、
・「僕」という一人称を初めて使ったのは、吉田松陰
・吉良上野介は、領土の民から愛された名君だった
・「だらしない」の語源は、「しだら」=修多羅(サンスクリット語で「秩序」)のない”しだらない”が江戸で流行った逆さ言葉によって”だらし”に変化したもの
とかでしょうか。
好奇心って何かと考えるとき、うちはその定義のひとつに「分からない・知らないものに出会ったときに、それをほったらかしに出来ない気持ち」だと思っていて。一日外を歩いていれば知らないことなんておそらく、100以上必ず接触しているはずなんです。でも、それを人は「知らない」のまま流して生きようと思えば生きられちゃう。”生活に必要不可欠な知識”である度合いが低ければ低いほどなおのこと。この本を読んでいると改めて、「世の中には知らないことが山ほどあって、いかにそれを日々踏み倒して生きているか」に気づかされる。
それと同時に、「だからこそ人間は面白い」とも思える。知らないことと遭遇することが快楽につながる生物って少ないと思うんですよ。基本的に、ご先祖さまが遺伝子レベルで残してくれた、「生き残る確率が最も高いプログラム」によって生き物は行動しているし、”未知との遭遇”はただそれだけで生命の危険として認識するはずだから。でもそれを逸脱して今まで来たのが人間でしょ。最初に石器使っちゃった人も、最初に火をおこしちゃった人も、そんなものは遺伝子プログラムに入ってなかったはず。だからこそ、イノベーションが好きな生き物として種を残してきたんじゃないかな人間って。
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