2011/09/25

SPBS 作家・ライター養成塾 夏期集中講座 授業ログ vol.4-2

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前回までのログ
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SPBS作家・ライター養成塾 夏期集中講座
SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS主催の添削通信講座、
「SPBS作家・ライター養成講座」の夏期講習版ということで、
計4回の授業に文章で生きて行くうえで必要なノウハウを
ぐっと凝縮した、夏期のちょっとした集中講座です。


SPBS作家・ライター講座の第4回目その2。第3回終了後に出ました宿題、【特定の実在する雑誌のある号を選び、雑誌記事を書いてみよう】という1,000字の添削結果を晒します。前回エントリー(SPBS 作家・ライター養成塾 夏期集中講座 授業ログ vol.4-1)でご紹介した、自分の書いた雑誌記事にどんな赤が入ったのか。結論からいうと今回も、「痛いとこ全部突かれたなあ…」といった印象。プロに赤を入れてもらうと本当にためになる。では、早速ご紹介しますね。(原文は上記の前回エントリーリンク参照) ちなみに添削を担当いただいたのは、SPBS夏期講習を紹介してくれた、銀河ライターの河尻さんご本人。とってもとっても勉強になりました!では!

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SPBS作家・ライター養成塾 夏期集中講座 その4-2 (9/12)


 -今回の先生方-


阿久根佐和子/あくね・さわこ
鹿児島県生まれ。東京大学文学部英語英米文学科卒業。
『BRUTUS』『Casa BRUTUS』『GQ』『coyote』などの雑誌に執筆するほか、
英語文学の翻訳や、荒木経惟『いい顔してる人』など
書籍構成等も手がける。




河尻亨一/かわじり・こういち
銀河ライター主宰。元『広告批評』編集長。
現在は雑誌『リバティーンズ』や日経トレンディネット『This Is Hit!』等の連載などのほか、
書籍編集、イベント企画、広告など幅広く手がける。

井出幸亮/いで・こうすけ
編集者。1975年大阪府生まれ。
旅行誌『PAPER SKY』副編集長を経てフリーランスに。
『BRUTUS』、『coyote』などカルチャー/ライフスタイル誌を中心に
編集・執筆のほか、映画・音楽関連制作物や
子ども向け媒体なども手掛ける。


※添削してくださったのは河尻亨一氏です。


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「泣ける映画の“こちら”と“あちら”」 
 想定掲載雑誌:「BRUTUS」2009年12月1日号”泣ける映画”特集

「こちら」と「あちら」という着眼点非常にグー。タイトルワークも面白い。  

 西洋史最大の哲学者、アリストテレス。著作である文学理論の名著『詩学』の中で彼は、悲劇・抒情詩・叙事詩の「詩の三大区分」の中で悲劇を文学の最高形態としている。その後、悲劇は劇文学へと発展を遂げ、現在のハリウッドや映画産業そのものにまで発展しているのだから、その先見の明には恐れ入る。

✓書き出しグー(映画の話なのにアリストテレスから。意外性)
△「著作である文学理論の」→トル。なくても通る。
△「その先見の明に恐れ入る」とマズい。(アリストテレスは西洋近代を先見してない)

 何ゆえ、アリストテレスは悲劇を文学の最高形態としたのか。彼は悲劇の効用を「憐れみ(エレオス)と恐れ(ボボス)を通じて、このような諸感情の浄化(カタルシス)を達成する」と記している。なにやら小難しい感じだが、要するに「ネガティブな感情からの浄化」効用が悲劇にはあり、それは文学が人にもたらす感情の揺らぎの中で最もスッキリできるものなのだということなのかもしれない。

△「なにやら小難しい感じだが」→トル。特に難しいことは言ってない。
※ 譲歩の考え方:大胆な発言などの場合に譲歩(EX:世間ではこういうふうに考えているかもしれないが)を用いるのは効果的。だが、多用するとコミュニケーションの速度が遅くなるケースも。この文章におけるこの譲歩はあまり意味がないのでスッキリさせる。


 さて現代。人はたとえば、失意のドン底に陥る主人公を見て号泣しながらも、手は口にポップコーンを運んでいたりする。あくまでも「他人事としての一線」を保ち、泣く行為によって救いとしてのカタルシスを得る。そんな距離感が悲劇を娯楽として成り立たせている最大のポイントなのかも知れない。

✓「さて現代。」→この持って行き方はグー。
△リアリティに留意したい。「失意のどん底に陥る主人公」を見て号泣するだろうか? どちらかと言えば、失意から脱却したり、脱却しようとしたけどさらなる不幸に見舞われてダメでした、ってときに号泣するのでは? そういうディティールが説得力につながる。その意味ではアイテム(ポップコーン)も再考の余地あり。記号化しすぎ。でないと、せっかくのその後の考察がワークしてこない。この場合は、「映画館を出たら完全に忘れている」みたいな流れのほうがよかったのでは?

 その一方で、自ら悲劇を演じるスターたちは「他人事」とは言っていられないようだ。メソッド演技法というひとつの手法がある。まず、演技をする過程において担当する役柄について徹底的なリサーチを行う。そして、劇中で役柄に生じる感情や状況については、自身の経験や役柄がおかれた状況を擬似的に追体験し、演技プランを練っていくというもの。『波止場』で兄から銃を突きつけられ、なだめようとするマーロン・ブランドや、『エデンの東』で父親に泣きつくジェームズ・ディーンの演技がそれにあたるとされている。ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デニーロらもメソッド演技法の系譜を次いでいる俳優。

✓「銀幕のこちらと向こう」というロジック展開はグー。ただ、書き方は再考の余地あり。せっかくなのでもう少し「この展開」を立たせる書き方。
EXだが、それを“他人事”と言っていられない人もいる。みずからその悲劇を演じる俳優たちだ。
✓「メソッド演技法」というアイテムの紹介はグー。
△具体例への流れグー。ただ、アイテムの選び方をもう少し現代的にしたほうがよいかも。「昔のやり方なんだね」という印象になるのを防ぐ(現代の話として読んでいたはずなのに)。掲載先が「キネマ旬報」なら成立するかも。

 ただしメソッド演技法に対する最大の批判として、自己の内面を掘り下げるため、役者自身に精神的な負担をかける点がある。アルコール中毒や薬物依存などのトラブルを抱えるケースも少なくなく、マリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトは役作りに専念しすぎるあまり、自身のトラウマを掘り出し、以後の役者人生に深刻な影響を及ぼしたとも言われている。

✓流れグー。

 「一線」の“こちら”側で我々が涙のカタルシスを堪能する一方、“あちら”側には俳優たちの他人事ではない“悲劇”が隠されているかも知れないと思うと、泣ける映画の違った泣き方が見えてくるかも。

ユーザーの心理を想像したい。多くのユーザーはそんな俳優たちに対して「そんなこと知ったこっちゃねえ」と思ってる。しょせん、「アチラ側」の人だから。
泣ける映画の違った泣き方が見えてくるかも。」がちょっと押しつけがましい。この発見自体は「やった!」と思いがちなもの。こういうときは“自分ごと化”しましょう。
 △ロジックに目を奪われるとこうなる気持ちはわかる。「雑誌的提案」は重要だが、この場合は無理がある。
EX:”こちら”側で我々が涙のカタルシスを堪能する一方、“あちら”側には他人事ではない“悲劇”が隠されているのか……と思うと、なんだか泣けてきた。
→『泣けるでしょ??』とドヤ顔でリアリティのない提案をするのではなく、自分が泣けたことにしてしまうと成立する。実際に泣けるかどうかを読者にゆだねる技法。


総評:
着眼点に技あり。深堀りもグーなだけに自分ごと化しま賞。
✓映画、旅、グルメはだれでも体験のあることでだれでも書けるテーマゆえに、アングル(切り口)の新しさや書き方の味付け(オリジナリティ)には新鮮さが求められる。切り口のオリジナリティはグー。
BRUTUS」の原稿かどうかはやや疑問も。ビジュアル誌のオーソドックスを考えれば。
シェイプアップできるところがある。

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むむむ… つまり、構造的に「それっぽい感じ」を装うことが先立ちすぎということでしょう。なのでロジックや構成はそれなりに評価してもらいましたが、リアリティが足りないと。これは文章に限らず自分のアウトプット全般に共通する悪癖なのだよね… 小器用に要領だけつかんで乗り切ろうとするあまり、コンテンツとしての本当の底力とか深みとか、もっと言ってしまえば「人を動かす力」が出切らない。猛省ですこれはほんと。

あるコンテンツが「そのコンテンツっぽくある」ことは、届ける相手にとっては実はそんなに大事ではなくて、本当に大切なのは、相手が理解できる・受け入れてくれる形でそれを届け、「そのコンテンツによってちょっとでもいいから、その人の人生を好転させること」なんだと思う。大げさなことではなくて、ちょっと幸せになったり週末が楽しみになったり今度やってみようと思わせたり、それが雑誌記事のコンテンツとしての本懐だとしたら、それに至らしめるほどのリアリティがなかった。もしくはこねくりすぎてリアリティから遠ざかってしまったんだろうと自分で感じます。

狙いすぎずに、正直に思ったこと・感じたことの範囲で書く。それでいてなお面白い文章を書くためには、切り口のレセプターである「自分の人生」を充実させていきたいですね。今回、実在の雑誌に掲載されることを想定して、その雑誌の持つたたずまいやその号のほかの記事とのバランスを考えることも課題のハードルのひとつだったのだけど、本当に苦しんだ! いうのも、自分のネタ・引き出しの少なさによるものなんだけど。専門性が足りない・思いついた切り口はすでに書かれている・興味が向かないので書ける気がしないジャンルであるなどなど… これらを乗り越えてライターの方は、あくまで自分の体を通したうえで文章を書いているのかと思うと、よほどジャンルを絞った専門ライター以外の方は、凄まじい守備範囲だなあと感じた。

いろんな体験をしていろんな感情を体と心に通すこと。時間がかかることかもしれないけど、心持ち前向きに動いていきたい。これは企画屋さんとしてね。文章技巧以上にそこを気付けたことが大きすぎる経験値でした。ナイス課題とありがたい添削でした。

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以上で、全4回のSPBS作家・ライター養成講座夏期集中講義は終了!文章を書くということを通して、コミュニケーションとコンテンツのあり方について自分なりに考えるきっかけになったのが大きかった。そしてやっぱり、いいコンテンツを作るのはしんどいということ!がんばらねばですね。

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