毎月毎月、映画のまとめばっかりあげていて、思い返せばちゃんと本当に好きな映画について、しっかりと書いた事ないかもなと思ってちょっと書いてみます。
好きな映画たくさんあるんですけど、一個挙げるならやっぱり、
「グッドウィルハンティング」になるかな。天才的な頭脳を持ちながら過去のトラウマにとらわれ非行を繰り返す青年と、妻に先立たれ喪失感に苛まれるセラピストの邂逅と旅立ちのお話。
とても、共感するんですこの主人公に。自分を素直に人に表現すること・心を開くこと・他人に自分を知ってもらう事に恐怖し、それがゆえに心を閉ざし、世の中や他人を俯瞰・遠巻きに蔑み、故に孤独を深め誰も近寄らせず… 傷ついても、分かり合えない事があっても、摩擦しても、それでも人とつながっていくことの向こうに何があるのか。傷を追った二人が時間を経て見いだしていくのが、何度見ても涙が出る。
「自分自身以上に愛するものがあるとき、
人は本当に傷つくのだ」
「君の話す事は全部本に書いてある。
君から学ぶことは何もない。」
「君も完璧な自分を壊したくない?
超素晴らしい哲学だ。
”誰とも本気で付き合わずに一生を過ごす”」
「そんなに頭がいいのに、こんなに簡単なことにも
君は答えられない! 君のやりたいことは、なんだ!?」
心理学者ショーンの嗚咽にも近いこの問いかけに、主人公ウィルは答えられない。
自分をさらすのが怖くて、嫌われたくないから関わらなくて、失敗したくないからやらなくて、今の生活にしがみついて。どんなに本を読んでも、どんなに知識を得ても、どんなに自分探しの旅とかいって自分の事を通りすがりとしか思わない異国の人と会っても、自分なんて見つからないのだよね。今、手にある大切にしたいと本当は思っている事や人から、逃げない勇気なのだと、この映画を見る度、この台詞を聴く度、立ち返るのです。
ショーンが完璧な指導者ではなく、あくまで同志として共に前に進んでいくのもとてもとても感じるところが多くて。以前、臨床心理学者の故河合隼雄氏が作家・小川洋子との対談短編集「生きるとは、自分の物語をつくること」でおっしゃっていた言葉が思い出されます。河合先生が言っている文化財修繕の話。
例えば布の修理をするときに後から新しい布を足す場合、
その新しい布が古い布より強いと却って傷つけることになる。
修繕するものとされるものの力関係に差があるといけない。
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人を助けにいく人はだいたい強い使命感があるが、
助けられる人はそれだとたまったものじゃない。
そういうときにスッと、相手と同じ力になるというのは、
難しいこと。
助ける人は、助けられる人と
同じ弱さ、寂しさを持っている人じゃないと。
弱さを持ってウィルに接したのは、これまででショーンが初めてだったんだろう。人を思い人のために何かすることの本質はもしかしたら、ただ寄添うことから始まるのかも知れないすね。
主演のマット・デイモンと、親友役のベン・アフレックは本当の親友同士。マットがまだ学生だったとき、大学の課題で書いた脚本をベンが大絶賛。いつかきっと映画にしようと誓い脚本をブラッシュアップし、それから5年以上の歳月を経て、本当に映画になったのがこの作品なんです。ウィルを旅立たせるために敢えてつらくあたり突き放すベン演じる親友のチャッキーが、友情のあり方を考えさせてくれます。
空気を読むとか、SNSで本音が言えないとか、けんかするくらいなら同調するとか、僕含め今の日本の若い人たちはなんだかだんだん、言いたい事が言えないというか、むしろ、何が本当にやりたいことなのか分からなくなってきているような気がしてちょっと薄ら怖い気がするのです、若者研究とか日頃していると特に。自分だってそう。でもそういう思いが募る度、ショーン先生のあの言葉が思い出されるのです。(まあぼくは頭よくないですけど笑)
あまり安易に人に自分の好きなものおすすめしないのだけど、これは本当に本当に観てほしい映画なのです。立ち止まるときにいつも観て、また次に進める気にしてくれます。
1997年公開
監督:ガス・ヴァン・サント