5月ももうおしまい!というわけで、今月観た映画のおさらい。今月は9本ということで、チャレンジ中の年間100本切りから逆算すると、平均的なペース。でも5月終了時点で40/100なので、6月に10本観ないと、ペース的にはちょっと遅れ気味。長梅雨だということなので、映画たくさん観たいとこ。
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aginさんの本棚
2011年05月
アイテム数:9
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aginさんの本棚
2011年05月
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今月観た作品から感じたことは、「演じる」ことの業の深さでしょうか。その人は紛れもなくどの役であるか以前に「その人」であるはずなのに、自分以外の人間を生き表そうとする、業の深さ。今月の個人的No.1だった【ブラック・スワン】で強く感じた、”自分以外の人生を生き表すことの狂気性”。その人の中にその人ではない人格を強く取り入れれば取り入れるほど、その狂気性は強くなるような。
翻って、1999年コロンバイン高校銃乱射事件を描いた【エレファント】。プロの俳優は大人の3名のみ。他、大勢の生徒たちは全員、この映画以前に役者業をやったことがない子供たちで演じられている。役名も全員、役者本人の本名であり、趣味や特技・性格描写などもその役者の”その人”をそのまま活かしたプロットになっている。つまり、ガス・ヴァン・サントはこの映画でなるべく、”演じない”演技をさせたわけです。
【羊たちの沈黙】のハンニバル・レクター博士役で一躍、サイコでホラーな怪優になったアンソニー・ホプキンスは、自我を極限まで抑制しその役柄を徹底リサーチ・追体験した上で演技をする”メソッド演技法”について、「リアルさを追及するが故に表現技術のメリハリに欠け、即興性に頼りすぎている」という批判を「アクターズ・スタジオ・インタビュー」で述べている。リアルであることへの追求からは、レクター博士という鮮烈なキャラクターは生まれなかったのかも知れないということかもね。
僕自身、バンドで他の人の楽曲をカバーすることがほとんどだったキーボーディスト。「その曲本来の良さを学び得るために、自分自身の色を一旦無にするくらいのつもりでカバーする」極と、「曲はあくまでモチーフと捉え、そのモチーフを自分自身がどのように解釈して表現できるかを模索する」極。その両極のバランスはいろいろ試行錯誤してきた経験がある。どちらが正しいとかそういうんじゃないんですけど、ひとついえるのは、その両極の触れ幅を知っている人は、結果として、「自分」についてより自覚的でいられるような、一種のトレーニングを音楽でも演技でもある切り口から体験したことがあるといえるんじゃないでしょかね。
極限まで役を演じきるためにその役の人生を追体験しすぎたが故に破滅していった【ブラックスワン】のニナ。その役を演じさせる上で、もっとも”演じる必要がない”キャスティングとプロットを用意して挑んだ【エレファント】のガス・ヴァン・サント。演じる上で、自然であることが必ずしも演技として面白みがあるとは限らないという【羊たちの沈黙】のアンソニー・ホプキンス。演技の奥の深さと、それを追求し愉しむ人間の業の深さなんかを考えた、今月の9本でした。
【ブラックスワン】【レスラー】【羊たちの沈黙】【ディパーテッド】あたりが良かった今月。何かオススメがあったら是非是非教えてください。あと、”演じること”についての一人考察はこれからも続けます。何か感じること・思うことがある方はコメントいただけたら、いろんな意見が聞けて面白いかなと思うので、コメントお待ちしてますます。んではー。
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