上野の東京国立博物館で6/12(日)まで開催している、【特別展・写楽】。銀河ライターの河尻亨一氏が「気合が入ったいい企画」とtwitterで評していたのを見て、行こう行こうと思っていた矢先、たまたま時間が空いた平日の午前中に行ってみた。
展示を見てまず感じたのは、「キュレーションの凄み」だろうか。正直、美術博物の展示のキュレーションの良し悪しがここまでビンビンと自覚できたのは今回が初めてだった。それはもちろん、自分自身の興味関心が作品そのものだけでなく、「展示企画のプロデュース」というところに移ってきたという内情もあるのだけれど、それを差し引いてなお、重厚でかつスッと知的好奇心に入ってくるその展示は圧巻でございました。
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東洲斎写楽とは・・・
江戸時代の浮世絵師。寛政6年(1794年)から翌年にかけて、およそ10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版した後、浮世絵の分野から姿を消した。本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明。デフォルメを駆使し、目の皺や鷲鼻、受け口など顔の特徴を誇張してその役者が持つ個性を大胆かつ巧みに描き、また表情やポーズもダイナミックに描いたそれまでになかったユニークな作風。その個性的な作品は強烈な印象を残さずにはおかない。描かれた役者(画中に家紋がある)・役柄から芝居の上演時期が検証されており、これが現在の写楽研究の主流をなしている。しかしながら写楽の絵の売れ行きは芳しくなく、役者のファンからすれば役者を美化して描かれた絵こそ求めたいものであり、特徴をよく捉えているといっても容姿の欠点までをも誇張して描く写楽の絵は、とても彼らの購買欲を刺激するものではなかった。蔦屋重三郎と組んで狂歌ブームを起こした大田南畝は『浮世絵類考』の中で、「あまりに真を画かんとして、あらぬさまにかきしかば、長く世に行なわれず、一両年にして止む」と書き残しており、彼の予測通り、一年も経たないうちに写楽は浮世絵界から姿を消している。
展示内容は以下の5ゾーンで分けられていて、大まかには作品時系列をなぞっている。
1.写楽以前の役者絵
2.写楽を生み出した蔦谷重三郎
3.写楽とライバルたち
4.写楽の全貌
5.写楽の残影
時系列で作風を追うのはオーソドックスな編集だが、写楽以前の役者絵の歴史(17世紀・菱川師宣~)から写楽を売り出した名プロモーター・蔦谷重三郎の存在など、写楽作品が世にどのようにリアクションされたのかを背景やコンテキストで見せていることがとても立体的に知的好奇心に迫る内容だった。文章による説明でそれらを書くだけではなく、実際に作品を展示することによって感覚的に当時の江戸庶民の美的センスや流行を疑似体験させてくれる充実の展示前半だった。
さらに白眉だったのは、【写楽とライバルたち】から【写楽の全貌】と続いた後半の流れ。たった10ヶ月145作品の写楽作品がなぜここまで後世に残されているのか、その特異な作風を文章で説明するのは、ミステリアスな存在であるがゆえに格好の研究対象とされてきた写楽に関しては簡単なこと。それを長ったらしい文章ではなく、『同時期のライバルたち』の作品と比較することで視覚的・直感的に見せてくれた。役者絵とはその名のとおり、ある役者のある歌舞伎演目における役柄を描いたものであり、当然ながら同じ役者役柄に対して複数の浮世絵画家が役者絵を残している。たとえば同じ、【三代目市川高麗蔵の志賀大七】をとっても、東洲斎写楽作と、彼のライバルとされている勝川春艶の作風とはその人物の捕らえ方が異なるわけ。今で言うと、「JINの大沢たかお」を針すなおが描いたり、木田優夫が書いたりする感じでしょうか(笑)。写楽が人物描写においてどのような点を重視していたのかが、ライバルの作品と横並びで展示されるだけで一目瞭然なわけです。これは素晴らしく分かりやすく、知的好奇心を刺激された。(ここでは並べて載せません、是非展示に行ってじかに確かめてください)
東洲斎写楽作 【三代目市川高麗蔵の志賀大七】
【写楽の全貌】のゾーンでは、役者絵の本来の出自である「歌舞伎の題目」のあらすじを映像クリップで簡単に説明したのち、そこで紹介した人物相関に基づいて写楽作品をひとつひとつ見ていくという内容。それまでのゾーンですでに一度登場した作品を、文脈を変えて再登場させるという展示も斬新に感じたし(同じ版の作品が多数現存している版画だからこそ出来る展示)、文脈を変えることによって、ここまで見事に観客の知的好奇心の異なる部分を同じ作品で刺激できるのかと、キュレーションの価値を、周りで「ほええーーー」と唸っているじいさまばあさまの大群のリアクションから思った。写楽作品でもっとも有名な【三代目大谷鬼次の江戸兵衛】が、なぜ顔がセンターから右に寄っているのか、なぜ右向きなのか、彼はいいもんなのかワルもんなのか。そういった、実は知らないで気にせずに流している事実が、いかに展示ひとつで、観客の方から能動的に「知りたい」と思わせられるかに、ちょっと感動したわけです。
右:東洲斎写楽作【初代市川男女蔵の奴一平】
左:東洲斎写楽作【三代目大谷鬼次の江戸兵衛】
なぜ江戸兵衛が右寄り右向きなのかは、実は奴一平との決闘を描いた、
二枚で一対の作品だったからなのです。
並べてみて初めて分かる、この対決シーンの迫力。
ちなみに江戸兵衛は、悪いやつです。納得の目つき。
展示を見終わってふと考えた、「いいキュレーション」「悪いキュレーション」の違い。一番はやはり、「伝えたい・知ってほしい・興味を持ってほしいという、キュレーターの私的なエゴや情熱がそこにあるか」ではないかなと。この展示に込められている最大のポイントは、「気合」だと感じたんですね。きっと本当に、写楽のことを知ってほしかったんだろうと。そのためにいかに頭をひねって工夫を凝らしたのか、ビンビン伝わってくる良展示でした。さらに付け加えるなら、「本当に伝えたいことがあるのなら、向こうから能動的に来てもらわないと伝わらない」ということ。“分かりやすさ”の追求を怠り、「分からないやつは仕方ない」とするのではなく、いかに今現在の段階で興味を持ってもらえてない分野・領域に、「伝えたい人の側から」来てもらうように出来るか。【北風と太陽】でいうところの、太陽のやり方をいかにできるか。一方通行で言いたいことだけいうよりもはるかに大変だし根気も我慢も必要なやり方だと思うし、だからこそ、それを出来る人からはおのずと気合を感じるんでしょう。
「伝えること」で生計を立てている広告屋として、じいさんばあさんの波に流されながらも、彼らの「へえええ」「そーなんやなああ」という態度変容を間近に見れて、キュレーションってすごいんだなと身をもって感じた、そんな良体験でした。オススメ。
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