2011/09/29

営業に異動して2ヶ月

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プランニングから営業に異動になってから大体2ヶ月経ったわけで、思うことをメモしておこうと思います。

まず、タスクの山の数と大きさがかなり違うなあと感じたのね。それまでのプランニングは、タスクの”山”のイメージが、富士山みたいな、でかいのがドーンと立ちはだかってくる感じで。企画書を書くのも戦略を練るのもBig Ideaを考え出すのも、踏破経路をしっかりイメージできてないと作業中に遭難するんです。大目的に向かって立ち向かうような。でも営業は、小さい山が数えきれないほど並んでくるような… 何しろタスクの種類と数が多い多い。ひとつを踏破するのは比較的簡単なものが多いんだけど、どんどんやっていかないと終わらないというイメージ。結果的に、どの山からやっつけていくのか設計しておかないと経路にロスが生じて途中で日が暮れて遭難するんですよ。


ただこれって結局、意識を両面に持っておけば同じことなんだよね。プランナーとして大きな山を登るときにも、一歩一歩の工程を丁寧に積み上げていくことが重要で、大きな山を遠景で眺めているだけじゃ登り方わからないのよね。できる一歩から歩む大事さ。微視する視点。営業も、小さい山を次々と踏破していく過程でそれ自体が気持ちよくなっちゃって、仕事している気になっちゃうとだめで、「で、どこいくの?」っていう俯瞰視が大事ね。考えてみればバンドで音楽を組み立てるときと一緒。1曲の96小節の流れをどう組み立てればいい曲になるのか考えるのと、ではこの一音をどうプレイすればいいのかと。別々なんだけど、同じことみたいな。そういう感覚の両方をスイッチを切り替えながら、最後にはひとつひとつの具材がわからないくらい渾然一体となったスープみたくできれば、それがいい音楽。すべからくすべての企画に共通するんだろうね。


自分が”営業”に身をおいて目指したいことって、コンサルティングができるプロデューサーなんだと思う。困っている相手と直接対峙することでしか抽出できない課題のホンシツをちゃんと見つけられるインサイト能力。そのホンシツを翻訳してチームと共有し、ビジョンを創出・同期できるプロデュース能力。自分で戦略から施策まで練り上げられるプランニング能力。みんなが望むべきハッピーな世の中や社会を見通せるフォーサイト能力。あと、体力w

自分にしか目指せない、アカウントエグゼクティヴ像を模索していこうと思います。雛形がないのが営業の面白いところだと思うし、直属の上司がこうだからこうしようとか、そういうのどうでもいいのだと思うのです。まず、何がやりたいのか・できるようになりたいのか。そこから逆算して今の自分に欠けている能力はなんなのか。それに当てはまるものを吸収していけばいいんじゃねと。あとは、若干のハプニングをポジティブに変換する心持ちかな。


だから今までやってきたプランニングシンキングをOFFにするつもりは一切ないし、そのせいでまわりの営業よりも二倍負荷がかかるのも望むところなんです。もちろん責任の砦は営業としての自分にありますから優先順位はありますが。新しいことを世の中にぶっ放したいし、それで人を好転させたいし、自分のアイデアそのものにいつか対価をもらいたい。ね。


大変なのは覚悟の上でのこの仕事。頑張ります。

2011/09/28

【LIVE INFO】 】 10/15 [SAT] @六本木morph

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10月のライブのお知らせをさせてください
まだバンド名もろくに決まっていないような、単発企画バンドですので、気軽にお越しいただけたらと思います。ぜひぜひ!

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◆10
/15(土) open17:30 / start18:00
@六本木morph 
◆10
00yen+1ドリンク

※私たちのバンドの出番は20:40頃からになります! 

メンバー:
vo.山賀祐
cho.木村牧人
cho.田中伶奈
gt.中石達
key.今井美沙
key.吉田将英
bs.内野知
ds.西世古芳彦
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今回もカバーバンドで、Ne-Yo、Jastin Timberlakeなど、チャラ系R&Bをやります笑 タテノリなフロアにしたい予定ですので、パーッとしたいその気持ちを是非ぶつけに来てくださいませ!


興味のある方はコメントをいただけたら!
これない方も是非、ツイートなりいいね!をいただけたら!
幸いでございます、よろしくお願いいたします。





2011/09/27

いい音楽ってなんでしょうね。

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3連休は、バンドの練習ばっかりやってました。そりゃもうまるで学生の時みたいに、スタジオに8時間とか入ったり笑  楽しかったよ。ただ単に音を出す気持ちよさと、だれかと一つの物事を徐々に積み上げ高めていく歓びと、両方で。

このバンドでやろうとしていることは、「本当にいい音楽」とは何かを自分なりに感覚でつかむことなんだよね。The Meters、Jackson5、James Brown、Diana Rossなどのスーパーなルーツミュージックをコピー・アナライズすることから始まり、Janis Joplin、Stevie Wonder、Elvis Presley、Ray Charlesらのポップミュージック創世記スターの名曲を演奏してきたのがここ5か月。そんで直近の3連休で、やっとこさポップス金字塔のアナライズまでたどり着いたわけでございます。








嗚呼、なんかもうすご過ぎて泣きそうになる。なんだろうね音楽のパワーって。なんだろうねいい音楽ってって。馬鹿でかい経験値を得られたと思う。練習の最後の方は、これまでやってきた曲たちが音楽史のようにリンクしだして、体がちょっとだけ、無条件で反応できるようになったし。


音楽ってやっぱり、コミュニケーションなんですよ。広告業界の人は何かと、コミュニケーションってすげーんだぜ!って論法に我田引水するがあまり、とどのつまりすべてはコミュニケーションという風に話を捻じ曲げがちだと俺も思うけど。でもね音楽は、人から人に届けるものというか、思いなんだわやっぱり。だから、やっぱり、演奏するからには、その空気に触れた人の人生をちょっとでもいいから好転させたいと、素人ながらに思うのです。歴史に名を刻んだ先人たちの音楽を実際に自分の手で演奏してみて、彼らの音楽がいかに多くの人の音楽を好転させてきたのか。溜息でるよほんと。


近々にも初陣ライブのご案内ができたらいいなあと思いつつ、未だ秘密結社状態ですが、確実に確実に前進していますので、ちょっとだけご期待ください♪

2011/09/25

SPBS 作家・ライター養成塾 夏期集中講座 授業ログ vol.4-2

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前回までのログ
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SPBS作家・ライター養成塾 夏期集中講座
SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS主催の添削通信講座、
「SPBS作家・ライター養成講座」の夏期講習版ということで、
計4回の授業に文章で生きて行くうえで必要なノウハウを
ぐっと凝縮した、夏期のちょっとした集中講座です。


SPBS作家・ライター講座の第4回目その2。第3回終了後に出ました宿題、【特定の実在する雑誌のある号を選び、雑誌記事を書いてみよう】という1,000字の添削結果を晒します。前回エントリー(SPBS 作家・ライター養成塾 夏期集中講座 授業ログ vol.4-1)でご紹介した、自分の書いた雑誌記事にどんな赤が入ったのか。結論からいうと今回も、「痛いとこ全部突かれたなあ…」といった印象。プロに赤を入れてもらうと本当にためになる。では、早速ご紹介しますね。(原文は上記の前回エントリーリンク参照) ちなみに添削を担当いただいたのは、SPBS夏期講習を紹介してくれた、銀河ライターの河尻さんご本人。とってもとっても勉強になりました!では!

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SPBS作家・ライター養成塾 夏期集中講座 その4-2 (9/12)


 -今回の先生方-


阿久根佐和子/あくね・さわこ
鹿児島県生まれ。東京大学文学部英語英米文学科卒業。
『BRUTUS』『Casa BRUTUS』『GQ』『coyote』などの雑誌に執筆するほか、
英語文学の翻訳や、荒木経惟『いい顔してる人』など
書籍構成等も手がける。




河尻亨一/かわじり・こういち
銀河ライター主宰。元『広告批評』編集長。
現在は雑誌『リバティーンズ』や日経トレンディネット『This Is Hit!』等の連載などのほか、
書籍編集、イベント企画、広告など幅広く手がける。

井出幸亮/いで・こうすけ
編集者。1975年大阪府生まれ。
旅行誌『PAPER SKY』副編集長を経てフリーランスに。
『BRUTUS』、『coyote』などカルチャー/ライフスタイル誌を中心に
編集・執筆のほか、映画・音楽関連制作物や
子ども向け媒体なども手掛ける。


※添削してくださったのは河尻亨一氏です。


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「泣ける映画の“こちら”と“あちら”」 
 想定掲載雑誌:「BRUTUS」2009年12月1日号”泣ける映画”特集

「こちら」と「あちら」という着眼点非常にグー。タイトルワークも面白い。  

 西洋史最大の哲学者、アリストテレス。著作である文学理論の名著『詩学』の中で彼は、悲劇・抒情詩・叙事詩の「詩の三大区分」の中で悲劇を文学の最高形態としている。その後、悲劇は劇文学へと発展を遂げ、現在のハリウッドや映画産業そのものにまで発展しているのだから、その先見の明には恐れ入る。

✓書き出しグー(映画の話なのにアリストテレスから。意外性)
△「著作である文学理論の」→トル。なくても通る。
△「その先見の明に恐れ入る」とマズい。(アリストテレスは西洋近代を先見してない)

 何ゆえ、アリストテレスは悲劇を文学の最高形態としたのか。彼は悲劇の効用を「憐れみ(エレオス)と恐れ(ボボス)を通じて、このような諸感情の浄化(カタルシス)を達成する」と記している。なにやら小難しい感じだが、要するに「ネガティブな感情からの浄化」効用が悲劇にはあり、それは文学が人にもたらす感情の揺らぎの中で最もスッキリできるものなのだということなのかもしれない。

△「なにやら小難しい感じだが」→トル。特に難しいことは言ってない。
※ 譲歩の考え方:大胆な発言などの場合に譲歩(EX:世間ではこういうふうに考えているかもしれないが)を用いるのは効果的。だが、多用するとコミュニケーションの速度が遅くなるケースも。この文章におけるこの譲歩はあまり意味がないのでスッキリさせる。


 さて現代。人はたとえば、失意のドン底に陥る主人公を見て号泣しながらも、手は口にポップコーンを運んでいたりする。あくまでも「他人事としての一線」を保ち、泣く行為によって救いとしてのカタルシスを得る。そんな距離感が悲劇を娯楽として成り立たせている最大のポイントなのかも知れない。

✓「さて現代。」→この持って行き方はグー。
△リアリティに留意したい。「失意のどん底に陥る主人公」を見て号泣するだろうか? どちらかと言えば、失意から脱却したり、脱却しようとしたけどさらなる不幸に見舞われてダメでした、ってときに号泣するのでは? そういうディティールが説得力につながる。その意味ではアイテム(ポップコーン)も再考の余地あり。記号化しすぎ。でないと、せっかくのその後の考察がワークしてこない。この場合は、「映画館を出たら完全に忘れている」みたいな流れのほうがよかったのでは?

 その一方で、自ら悲劇を演じるスターたちは「他人事」とは言っていられないようだ。メソッド演技法というひとつの手法がある。まず、演技をする過程において担当する役柄について徹底的なリサーチを行う。そして、劇中で役柄に生じる感情や状況については、自身の経験や役柄がおかれた状況を擬似的に追体験し、演技プランを練っていくというもの。『波止場』で兄から銃を突きつけられ、なだめようとするマーロン・ブランドや、『エデンの東』で父親に泣きつくジェームズ・ディーンの演技がそれにあたるとされている。ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デニーロらもメソッド演技法の系譜を次いでいる俳優。

✓「銀幕のこちらと向こう」というロジック展開はグー。ただ、書き方は再考の余地あり。せっかくなのでもう少し「この展開」を立たせる書き方。
EXだが、それを“他人事”と言っていられない人もいる。みずからその悲劇を演じる俳優たちだ。
✓「メソッド演技法」というアイテムの紹介はグー。
△具体例への流れグー。ただ、アイテムの選び方をもう少し現代的にしたほうがよいかも。「昔のやり方なんだね」という印象になるのを防ぐ(現代の話として読んでいたはずなのに)。掲載先が「キネマ旬報」なら成立するかも。

 ただしメソッド演技法に対する最大の批判として、自己の内面を掘り下げるため、役者自身に精神的な負担をかける点がある。アルコール中毒や薬物依存などのトラブルを抱えるケースも少なくなく、マリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトは役作りに専念しすぎるあまり、自身のトラウマを掘り出し、以後の役者人生に深刻な影響を及ぼしたとも言われている。

✓流れグー。

 「一線」の“こちら”側で我々が涙のカタルシスを堪能する一方、“あちら”側には俳優たちの他人事ではない“悲劇”が隠されているかも知れないと思うと、泣ける映画の違った泣き方が見えてくるかも。

ユーザーの心理を想像したい。多くのユーザーはそんな俳優たちに対して「そんなこと知ったこっちゃねえ」と思ってる。しょせん、「アチラ側」の人だから。
泣ける映画の違った泣き方が見えてくるかも。」がちょっと押しつけがましい。この発見自体は「やった!」と思いがちなもの。こういうときは“自分ごと化”しましょう。
 △ロジックに目を奪われるとこうなる気持ちはわかる。「雑誌的提案」は重要だが、この場合は無理がある。
EX:”こちら”側で我々が涙のカタルシスを堪能する一方、“あちら”側には他人事ではない“悲劇”が隠されているのか……と思うと、なんだか泣けてきた。
→『泣けるでしょ??』とドヤ顔でリアリティのない提案をするのではなく、自分が泣けたことにしてしまうと成立する。実際に泣けるかどうかを読者にゆだねる技法。


総評:
着眼点に技あり。深堀りもグーなだけに自分ごと化しま賞。
✓映画、旅、グルメはだれでも体験のあることでだれでも書けるテーマゆえに、アングル(切り口)の新しさや書き方の味付け(オリジナリティ)には新鮮さが求められる。切り口のオリジナリティはグー。
BRUTUS」の原稿かどうかはやや疑問も。ビジュアル誌のオーソドックスを考えれば。
シェイプアップできるところがある。

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むむむ… つまり、構造的に「それっぽい感じ」を装うことが先立ちすぎということでしょう。なのでロジックや構成はそれなりに評価してもらいましたが、リアリティが足りないと。これは文章に限らず自分のアウトプット全般に共通する悪癖なのだよね… 小器用に要領だけつかんで乗り切ろうとするあまり、コンテンツとしての本当の底力とか深みとか、もっと言ってしまえば「人を動かす力」が出切らない。猛省ですこれはほんと。

あるコンテンツが「そのコンテンツっぽくある」ことは、届ける相手にとっては実はそんなに大事ではなくて、本当に大切なのは、相手が理解できる・受け入れてくれる形でそれを届け、「そのコンテンツによってちょっとでもいいから、その人の人生を好転させること」なんだと思う。大げさなことではなくて、ちょっと幸せになったり週末が楽しみになったり今度やってみようと思わせたり、それが雑誌記事のコンテンツとしての本懐だとしたら、それに至らしめるほどのリアリティがなかった。もしくはこねくりすぎてリアリティから遠ざかってしまったんだろうと自分で感じます。

狙いすぎずに、正直に思ったこと・感じたことの範囲で書く。それでいてなお面白い文章を書くためには、切り口のレセプターである「自分の人生」を充実させていきたいですね。今回、実在の雑誌に掲載されることを想定して、その雑誌の持つたたずまいやその号のほかの記事とのバランスを考えることも課題のハードルのひとつだったのだけど、本当に苦しんだ! いうのも、自分のネタ・引き出しの少なさによるものなんだけど。専門性が足りない・思いついた切り口はすでに書かれている・興味が向かないので書ける気がしないジャンルであるなどなど… これらを乗り越えてライターの方は、あくまで自分の体を通したうえで文章を書いているのかと思うと、よほどジャンルを絞った専門ライター以外の方は、凄まじい守備範囲だなあと感じた。

いろんな体験をしていろんな感情を体と心に通すこと。時間がかかることかもしれないけど、心持ち前向きに動いていきたい。これは企画屋さんとしてね。文章技巧以上にそこを気付けたことが大きすぎる経験値でした。ナイス課題とありがたい添削でした。

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以上で、全4回のSPBS作家・ライター養成講座夏期集中講義は終了!文章を書くということを通して、コミュニケーションとコンテンツのあり方について自分なりに考えるきっかけになったのが大きかった。そしてやっぱり、いいコンテンツを作るのはしんどいということ!がんばらねばですね。

2011/09/15

勝ちパターンの作り方

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「勝ちパターン」を持ってる人は決断が早かったり成功したりするって、一般論でよく言うけど、それってなんなのかって結局、美学とか美意識みたいなものなのかもねん。

自分が選択において何を大事にするのか。

とか、もっと大きく言っちゃえば

生きる上での優先順位がつかめているか。

とか、でも結局のところ、

自分が、何をしたら気持ちいい人間なのか、自分で把握できている度合いが高い

ってことが、美意識があるっていうことなんだと思う。


GREEの田中社長が、「売れているゲームが既にあるのなら、そのゲームと似たものを徹底的に作るのがセオリー」と発言して賛否両論巻き起こっている今日ですが、だってそれが彼の美意識であり美学であり、つまり勝ちパターンなわけで、そりゃしょうがないじゃんね。別に批判しているわけじゃないよ、そういう選択なんだから。


バイザウェイ。

他人はどうでもいいとして、じゃあどうやったら、「自分が何をしたら気持ちいいと感じる人間だと、自分で把握できている度合いを高められるのか」ということ、ここが問題。おそらく、ナポレオン・ヒルとか読んだり絶対内定とか読んで、気合いれておら!って決めるものではない、断じて。ってかそんなもの一生変わり続けるんだと思うのね。イメージは、円なんだけどよくよく輪郭を見るとプルプルと常にゆれていて、不定形っていう感じでしょうかね。

きっと、そのほうがいい。変わり続けていい。ただその円がどんな感じなのかは、その瞬間瞬間においてつかめてないとね。「変わるかも知れないけど、今はこうだと思っている!」って、分かってるかどうか。それが、いまんところの美意識がその人にあるかどうかなんでしょうね。

まあ、勢いで一回で決めてFIXされるもんじゃないとしたら、どうやって見えてくるんだろうって、もうあとは実験しかない。理屈じゃなくて。

これやってみたけど、そんな楽しくなかったなあ
これ、思ったよりはまったわ!
こんなん全然好きじゃなかったけど、やってるうちにどんどん楽しくなってきた

とかとかとか。
ある時点で、それまでにやったことのなかったことをやらないと、実験にならないから。でもこれって自分の肉体を使った人体実験みたいなもんだから、怖いし、痛い思いするかも知れない。でもそれを乗り越えて反復しまくった経験がある人ほど、自分の気持ちいいをつかめている度合いが強いつまり、美意識がある人つまり、勝ちパターンがある人なんだと、すごく思います。要するに、恐怖を好奇心で凌駕せよと。そういう人には、ちゃんとBeingが出来ていくのだと感じたのですね。

まあ、勝ち、なんて相対的なものだからあんまり気にしなくていいんでしょうけど、タイトル的にキャッチーで分かりいいかなと思った、ただそれだけ。


自分の好きな自分になれるといいよね。

2011/09/14

「その人が関わってもいいと思える距離に」:東京企画構想学舎 第2期 企画12人セミナー No.2 【幅允孝氏】

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第1期 伊藤学科のログはこちら(途中ですw)

  
東京企画構想学舎第二期2回目の講師は、ブックディレクターの幅允孝氏。やりたいことや思いを遂げるための未知なる働き方「ブックディレクター」自体も、彼の企画によるもの。本に対する偏愛、大好きなものへの向き合い方と仕事への昇華、そして企画する上で大切にしていることなど、本という特定のドメインに、多角的に切り込んでいく企画術は、オリジナルなスタイルだと思います。


第一期伊藤直樹学科の講師でもあり、今回の講義内容はそのときのものと多くの部分で重複しているので、重なっている部分に関しては前回の授業ログに譲り、新しく聞くことの出来たお話のみ記したいと思います。

東京企画構想学舎 伊藤直樹学科 授業ログ No.05 (幅允孝氏)

今回もお話された、前回の授業の内容箇条書き (上記リンクと併せてご参照あれ)
・初期衝動と肩書きそのものの企画
・磁場の話
・事例の数々
・好奇心のワカサギつり化
・エディトリアルの可能性と今後

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幅 允孝 (ブックディレクター)
BACH(バッハ)代表
人と本がもうすこし上手く出会えるよう、様々な場所で本の提案をしている。
六本木ヒルズ「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」、新宿マルイアネックス「Brooklyn Parlor」、
東北大学の「book+cafeBOOOK」などのショップにおける選書や、
千里リハビリテーション病院、スルガ銀行ミッドタウン支店「d-labo」のライブラリ制作など、
その活動範囲は本の居場所と共に多岐にわたる。
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徹底的に、相手を知ろう
 
その場の持つ磁場を慮り、似つかわしい形で、届けたい相手が最も好意的に受容してくれる瞬間を狙って、自分が自信を持って薦められる本を届けるのが、幅流のブックディレクション。その上で何より大事になるのが、「相手を知ること」である。1期ログで紹介した「宝島とONE PIECE」の話然り、駿台予備校の事例然り、前提となっているのは、「届ける相手が、届けたい本とどんな距離感にいま置かれているのか、インタビューによって徹底的にあぶりだす」というところ。そんな幅氏の”しつこさ”が見事に結実した事例をひとつご紹介。




千里リハビリテーション病院の本棚


脳梗塞の患者さん専用のリハビリ専業の病院の本棚のディレクション事例。
「患者さんのリハビリの助けになるような本棚を」という依頼に対し、
脳梗塞のことから何も分からない幅氏は観察を開始。
まず目をつけた、「患者の日課表」から、
彼らが膨大な時間をもてあましているということを察する。
そこで幅氏の最初のアイデアは、
「これまで働きづめで時間が取れなかった方々に、
こんな今しか読めない大作を、じっくりゆっくり読んでもらおう!」というものだった。

インタビューで反応を見てみると、可もなく不可もなくといったところ。
しかしインタビュー10人目のおばちゃんの強烈な一言、
「こんなの絶対に読まないよ!」で自体は暗礁に乗り上げる。
おばちゃんいわく、長い本なんてただでさえ疲れるのに、
手も満足に動かない私たちには到底無理、と。

ではなぜ最初の患者たちは否定してくれなかったのか。
そこには脳梗塞患者特有のインサイトがあったわけです。
彼らは、健康な人が当たり前に出来るとこに対し、
自分がそれが出来なかった場合とてもツライ思いをし、
時に「出来る」という見栄を張ってしまうわけです。
幅氏はそこが最初、気づけていなかった。慮れていなかった。

そこで幅氏は企画の方向を180°転換。
・行間の多い詩や短歌、俳句本
・フリップブック(パラパラ漫画)
・写真集
など、ビジュアルから気軽に入れるものや、
手をコントロールすることで自分のリハビリ進度を自覚できるパラパラ漫画など、
真にリハビリ患者が喜んでくれる内容に選書を変え、
多くの患者さんに喜んでもらえたという、事例。



「しっかりと人と向き合う。そのためには現場に行って、その空間を肌で感じることはもちろん、届けたい相手としっかりとじっくりと話すことが何より大事だと思うし、それが僕のやり方。発言そのものをそのまま受け取るのではなく、言葉のスキマから本心を汲み取ってあげる。そこまでやれたら自分が介在した価値もあるかなあなんて思う。」


幅氏がインタビューを通じて最も知りたいことが、「何がその人の興味の範囲内なのか」ということ。。前回ログの「宝島とONE PIECE」の話然り、相手の興味の手の届くところと、その外側にあるまだ見ぬ楽しみを、いかに繋ぐか。そのためには前提としての「現状の興味の間合い」をインタビューで知ろうというわけです。

「距離が縮まるというより、”その人自ら、その事柄や本に関わってもいいと思える”ということだと思う。関わってもいいと思えるポイントこそ、僕の企画のタネ。そうして初めて、おせっかいではない、自ら主体としてその本に関わりたいと思ってもらえるのだと思う。」

ふとしたキッカケで好奇心の地図はガバーーーっと広がるし、それはまるで未知の大陸を丸ごと見つけたような、ワクワクする気持ちのはず。そして本は、自分の実際の人生以上の範囲へと大きくいざなってくれる、好奇心の地図のような存在なのだと幅氏は言う。本を使って自分の頭の中の好奇心の地図を広げてあげたい。その人の人生を豊かな生き方にいざなってあげたいということこそ、幅氏の根源的な初期衝動なのかも知れない。



「本を読む」という身体性
 
前回なかった話のひとつとして幅氏は、「読書の身体性」についても語ってくれた。背表紙や紙のテキスタイルを指の腹で感じ、紙のにおいを吸い込み、手のひらや指に紙一枚一枚の重さを捉えながら、思い思いの姿勢で本を読む。どんなにテクノロジーが進んでも絶対に自分の持つ体からは逃れられないわけで、だからこそ、読書という行為が身体性のレベルで気持ちよく、ストレスなく出来るかが変わらず重要なのだと幅氏は語った。
そして懸念として、「身体が本を忘れる恐れ」も同時に指摘した幅氏。いまやライターの方のほとんどがワープロ原稿で、手書きで入稿してくるのはリリー・フランキーくらいだという逸話を聞いたことがあるが、それは「手書きで文章をしたためる」という行為そのものを身体が忘れ、もはや出来なくなっているのかも知れない。読書という行為を身体が忘れるということはにわかに信じがたいかも知れないが、”今年まだ一冊も本を読んでいない”なんて人は実は珍しくないというのも事実。幅氏は半ば”使命”として、読書という身体性をみんなが忘れないように、これからも本を届けていきたいと話した。




本の”遅効性”
 
最後に質問時間が設けられたのでそこでの内容を少しご紹介。



Q.ひと月に何冊くらい読む??
A.2度読んだり、途中でやめたり、つまみ食いだったりするので冊数は何ともいえない。時間でいうと、一日3~4時間は本を読んでます。読み方は、「自分個人として好き」という場合と、「仕事柄読んでおこう」という場合で、深度や速度の点で違います。

Q.幅さん流の読書術は?
A.書き込みを必ずする。本はあくまでもツールなのでキレイにとっておいても意味はない。使い倒してナンボ。その意味では、「自分の思い・感じたこと」を本に書き、その一冊をオリジナルなものにするのが一番手っ取り早いし、血肉になると思う。なので、僕は本を売らない・貸さない・しまい込まないという原則は絶対に守ってますね。

Q.幅さんにとって、”本を読む”とはどういう意味を持っているのか?
A.食べる行為に近いと思う。自分の中にその本の内容が深く浸透して、血や肉になっていくイメージ。とても気持ちのいい時間。ただ最近は読者も出版サイドも、”答え”や”即効的に売ること”、”メイクセンスしたりためになること”…というものを求めすぎていると思う。本の本当の力は、忘れたころに思いも寄らない形で自分のためになるという”遅効性”にあるんじゃないかと思う。


Q.今後の夢は?
A.自分の店を持ちたい。庭があって、いつでもそこで本が読めて、立ち読みもできて。鎌倉あたりの古い洋館のような物件でそういうことが出来たらなーなんて思っている。



講義から、考えたコト

第一期の時と変わらない、柔和な姿勢で滔々と講義してくださった幅さん。前の講義で感じた、本に対する偏愛は相変わらずだったが、その上で今回新たに感じたのは、「ビジネスマインドのしたたかさ」だった。自分が本当に好きなことを仕事にするうえで、絶対に必要になるのがこの要素で、職業・肩書きそのものを企画した幅氏にとってそこはマストかつ最も難しい部分だったのと思う。出版ビジネスは特にブラックボックスや暗黙の了解が多い世界。サプライヤーになるわけではないにしろ、そのようなしがらんだフィールドにおいて独自の立ち居地を築くには、お金マインドは当然に必要なのだと思う。前回の授業より聞き手の僕がより、実現可能性まで意識するような脳みそで講義を聴いていたということもあるのかもしれませんが。

加えて思ったのは「インサイト」の重要性。千里リハビリテーション病院の事例がまさにそうですが、相手がコトバにできないことをいかに慮れるかこそ、コミュニケーションが介在する全てのドメインにおいて、イノベーションを発見できるか否かの大きな分水嶺であることは間違いないと思う。幅氏の粘り強いインタビュアーとしての姿勢からは、いかに伝える相手・お客様の心理が重要で、かつ一朝一夕で分かるものではないということを思い出させてくれました。

(幅さんのほかのお仕事については、コチラ→BACH OFFICIAL WEBSITE)

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次回、第3回はチームラボ代表取締役社長の猪子寿之氏のレクチャー。業界の風雲児がいったい何を語り、何を見据え、これからどのように動いていくのか。今から楽しみです…




(文・吉田将英)


2011/09/10

SPBS 作家・ライター養成塾 夏期集中講座 授業ログ vol.4-1

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前回までのログ
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SPBS作家・ライター養成塾 夏期集中講座
SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS主催の添削通信講座、
「SPBS作家・ライター養成講座」の夏期講習版ということで、
計4回の授業に文章で生きて行くうえで必要なノウハウを
ぐっと凝縮した、夏期のちょっとした集中講座です。


SPBS作家・ライター講座の第4回目その1。第3回終了後に出ました宿題、【特定の実在する雑誌のある号を選び、雑誌記事を書いてみよう】という1,000字。添削を通して、実践的目線での文章ライティング技術の講座になりました。添削ということで、もうここは思い切って、赤字を入れられまくった自分の原稿をさらすのが一番分かりやすいと思いますので、まずこのエントリーで赤いれ前の原文を載せて、次回投稿でそれがどのように変わったか、お見せできたらなんて思ってます。では!

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SPBS作家・ライター養成塾 夏期集中講座 その4-1 (9/12)


 -今回の先生方-


阿久根佐和子/あくね・さわこ
鹿児島県生まれ。東京大学文学部英語英米文学科卒業。
『BRUTUS』『Casa BRUTUS』『GQ』『coyote』などの雑誌に執筆するほか、
英語文学の翻訳や、荒木経惟『いい顔してる人』など
書籍構成等も手がける。




河尻亨一/かわじり・こういち
銀河ライター主宰。元『広告批評』編集長。
現在は雑誌『リバティーンズ』や日経トレンディネット『This Is Hit!』等の連載などのほか、
書籍編集、イベント企画、広告など幅広く手がける。


自分が出した、【雑誌記事】1,000字の原文


すげー恥ずかしいのは重々承知の上で、自分が書いた雑誌記事を下記載せます。想定掲載先は、「BRUTUS」2009年12月1日号の”泣ける映画”特集です。果たして、BRUTUSが持つたたずまいに似つかわしい記事になっているのかどうか… ただここ自体がブログという、異なるたたずまいの場であることはあしからず。


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「泣ける映画の“こちら”と“あちら”」

西洋史最大の哲学者、アリストテレス。著作である文学理論の名著『詩学』の中で彼は、悲劇・抒情詩・叙事詩の「詩の三大区分」の中で悲劇を文学の最高形態としている。その後、悲劇は劇文学へと発展を遂げ、現在のハリウッドや映画産業そのものにまで発展しているのだから、その先見の明には恐れ入る。

何ゆえ、アリストテレスは悲劇を文学の最高形態としたのか。彼は悲劇の効用を「憐れみ(エレオス)と恐れ(ボボス)を通じて、このような諸感情の浄化(カタルシス)を達成する」と記している。なにやら小難しい感じだが、要するに「ネガティブな感情からの浄化」効用が悲劇にはあり、それは文学が人にもたらす感情の揺らぎの中で最もスッキリできるものなのだということなのかもしれない。

さて現代。人はたとえば、失意のドン底に陥る主人公を見て号泣しながらも、手は口にポップコーンを運んでいたりする。あくまでも「他人事としての一線」を保ち、泣く行為によって救いとしてのカタルシスを得る。そんな距離感が悲劇を娯楽として成り立たせている最大のポイントなのかも知れない。

 その一方で、自ら悲劇を演じるスターたちは「他人事」とは言っていられないようだ。メソッド演技法というひとつの手法がある。まず、演技をする過程において担当する役柄について徹底的なリサーチを行う。そして、劇中で役柄に生じる感情や状況については、自身の経験や役柄がおかれた状況を擬似的に追体験し、演技プランを練っていくというもの。『波止場』で兄から銃を突きつけられ、なだめようとするマーロン・ブランドや、『エデンの東』で父親に泣きつくジェームズ・ディーンの演技がそれにあたるとされている。ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デニーロらもメソッド演技法の系譜を次いでいる俳優。

ただしメソッド演技法に対する最大の批判として、自己の内面を掘り下げるため、役者自身に精神的な負担をかける点がある。アルコール中毒や薬物依存などのトラブルを抱えるケースも少なくなく、マリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトは役作りに専念しすぎるあまり、自身のトラウマを掘り出し、以後の役者人生に深刻な影響を及ぼしたとも言われている。


 「一線」の“こちら”側で我々が涙のカタルシスを堪能する一方、“あちら”側には俳優たちの他人事ではない“悲劇”が隠されているかも知れないと思うと、泣ける映画の違った泣き方が見えてくるかも。


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こうやって読み返してみると自分でいろいろと反省がありますが・・・ 長くなってしまうので、添削結果は次のエントリーにてご紹介いたします。中々自分の文章にしっかりと赤を入れてくれるなんて体験は大人になってからでは中々出来ないので、新鮮だったし。とてもためになったのです。ということで、細々とお楽しみに。

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