2011/06/02

東京企画構想学舎 伊藤直樹学科 授業ログ No.03 中村拓志氏 (2010/11/01)

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前回までのログ
  
少し間が開きましたが、東京企画構想学舎ログの第三回目。初回、二回目の伊藤直樹氏の【企画とは何か?】の授業(詳しくは上部リンクを参照)を受けて、今回からは伊藤氏が招聘した様々な異なるフィールドで活躍している『特別講師』によるオムニバス講義です。伊藤流との相違点や共通点、そこから見える”企画力”の本質について迫れたらなあなんて思って受講してました。まずは、第三回の建築家【中村拓志氏】の授業をば。”空間”と”そこに滞在する人という動的な存在”、”そこから立ち上がる感情”について、独自の見方が垣間見えて、個人的にはかなりの目うろこ授業でした。


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 中村拓志氏 (建築家)

NAP 建築設計事務所代表取締役/1974 年東京都生まれ。1999 年明治大学大学院理工学研究科博士前期課程修了。
隈研吾建築都市設計事務所を経て 2002 NAP 建築設計事務所設立。
主な作品「lotus beauty salon」、「Dancing trees, Singingbirds」他。
受賞歴 JCD Design Award 2006 大賞、グッドデザイン賞 2008 金賞、JIA日本建築家協会賞、INAX デザインコンテスト金賞他。
著作「恋する建築」(アスキー)、「微視的設計論」(INAX 出版)。共著に「地域社会圏モデル」(INAX 出版)。


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企画には、【新規性・批評性】と【ビジョン】が必要

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『企画とは、企て、画すること。(planning) 新規性批評性に加えて、
企画の背景には問題意識に裏打ちされた、ビジョン、構想が必要である。』
===

企画とは?という問いに対する中村さんの答えがこれ。計画や設計などの言葉と同質ではあるが、それを上手くやることだけ考えていては小手先のテクニックで終わる、ただの「作業」になる。そこに企画性があるか否かは、「新しいかどうか」「現状に対しての批評性や示唆・アンチテーゼがあるか」という【新規性・批評性】と、「どうしてその新しさ・批評性を帯びさせるに至ったか」という自分の内なる【問題意識】が必須であると中村さんは言う。

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『だからこそ、企画には普段の自分の生き様が出てしまう
なにがその業界や領域の今後のためになるのか。そこに自らの志や批判精神はあるのか。
そういった批判精神を持って、既存の枠組みや限界を見定めつつ、
その枠にトライする、議論する。心構えはとっても大事』
===

個別の案件やそのときに与えられる様々な制約など以前に、「そもそも自分がこの分野に対して抱く問題意識は何か」という理念・信念に立脚すべしとは、伊藤さんの初回授業でも同じことを言っていたところ。畑は違えど『そもそも世の中もっとこうあるべき・こうしたい』という大局的である種、主観的な目線は持ち合わせて企画に取り組みたいと思った次第です。


微視・振る舞い

では中村さんが建築業界や、建物・設計・空間の現状に対して抱いている問題意識・批評性とは何か?

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『架空の大衆を相手にするのではなく、
もっともっと建築を人間の感情に近づけたかった
というのが僕の問題意識であり理念。皮膚や服のように、人間の身体にもっともっと近いものに。
身体に近いものはより強くビビッドに感情をつれてくる。
ただ建物を設計するのではなく、その建物によって規程されるそこでの人の振る舞い、
そしてその振る舞いからたち起こる感情までも、企画・デザインしたかった』
===

近代建築は、機能主義で大衆向けのマスプロダクトで、いわばそこに住んだり滞留する人々を虚視”的に捉えて企画されることが長らく主流だった分野。虚視的とはつまり、平均を扱い、架空の"大衆"を対象にして考えてしまうということ。それでは、そこに住むある一人の人の心の機微がその建物の中にいることによって、実際のところどのように遷ろうのか分からない。それに対して「微視」という独自の視点を持って企画に取り組んでいると中村さんは答える。


===
微視する・・・対象に凄く寄って見ること。
虚視する・・・対象から凄く引いて見ること。』
===

人を徹底的に観察し、どのような外的要因が、その人にどんな振る舞いを誘発し、その振る舞いによってどんな気持ちになるかを、慮り尽くす。それによって、彼の志向する、「建築によるコミュニケーションデザイン」は実現されると。たとえば近代建築が機能性の無い無意味なものとして否定した、装飾について。中村さんは装飾を「目線の振る舞いのデザイン」だと思っているそうです。たとえばゴシックの教会では、人の目線が下から上に上がって行くことをデザインされていて、天井からは後光は指すという仕組み。目線の動きとともに感情がデザインされている、すごく微視的な発想だと中村さんは言う。視線をデザインし、行為をデザインしている。そしてそこに、感情を立ち上がらせる。





===
『なので僕は、いきなり図面を引き出すなんてことは間違ってもしない。
最小単位である、”一人の人”からイメージを始める。
たとえば個室の美容院、木を避けた書斎、屈んでくぐるような小さなエントランスなど。
人に非常に寄った一部屋を形作り、それを反復させて全体像を形作る。
そうすることによって、人の振る舞いから離れないように、全体像がイメージされる。
===

そしてそれは、決して偏った際物を作るためにやっているのではなく、”身体性・振る舞いこそ、大勢の人に普遍的に共通する行為であり、そこから立ち上がる感情も普遍性が高い”という信念に基づいてのこと。「せまいところをくぐると、向こうに何があるかワクワクする」「暗くして視界を奪うと、床のテキスタイルに対する足の裏のセンサーが鋭敏になる」などなど。中村さんは自分の身体を使って、いろんなことを実際に体験しながら、身体感覚と感情を量っていくわけです。そしてそれは今の時代だからこそ必要な感覚だと中村さんは言います。

===
建築とは、振る舞いをデザインすることなのではないか。
振る舞いは、かなり普遍的に共有された感覚なのではないか。
お辞儀、田植え、盆踊りなどの共同身体感覚は古来から共同体を良好に保つために
どんな文化にも存在してきた、身体を共有している感覚。
振る舞いが重ねられて行くことで、感情の共有が生じる。
建築を通じて、小さな振る舞いの共振をどう作るか。
個の時代と言われて久しいが、一方でソーシャルメディアで人とつながることにも
カタルシスを感じるのが現代の人たちだと思うし、
建築によって共同体のキズナのようなものをどう高められるかが、最近の自分のトライ』
===

実績に見る、「振る舞いのデザイン」

実際に中村さんが手がけた作品を見せながら、どのような意図をもってどんな振る舞いを誘発したのか。講義の後半は、写真を見ながらの作者本人の解説で進んだ。


【録 museum】 2010年
栃木県小山市のカフェ・ミュージアム
植林によって林を作り、木に囲まれた美術館を目指し、
建物の屋根までも枝を避けるように反らせたシェイプに。
今後も林が成長していくことも計算に織り込んだ。
枝を避けることによって建物内が狭くなるわけだが、
それを逆手に取り、「屈む」「くぐる」「曲がる」などの身体性も設計。
”身を縮めて、元に戻す”という振る舞いと、
それによって立ち起こる、”気持ちの切り替え・異空間認識”
美術館という非日常体験を愉しみたい建物の役割と符号させた。

  
【Lotus Beauty Salon】 2006
名古屋近郊のビューティーサロン
サービスの在り方を、建物側からより良質なものに規程・誘発できないかという
チャレンジが出来たという作品。
「美容院でのカット中の姿は、あまり人に見られたくない」
というお客様の隠れたニーズを鑑み、
施術ブースを個別に仕切った。
また、美容師同士のコミュニケーションの阻害にならないよう、
立ち上がると頭が出る高さにブースを設定。
閉塞感を極力押さえた白地と、奥行きを演出し空間を広く見せるために、
僅かに色を溶かしたウルトラパステルでカラーリング。
”おもてなし”と”サービス効率”の両立を、
”目線の振る舞い”に着目して設計した作品。




【House SH】 2006
青山にある個人邸。通称、「オシリハウス」
狭小かつ北向きという悪条件の中、
道路側を、膨らませた壁で覆うという大胆な設計を敢行。
天窓からの光が、白く外側に膨らんだ内壁を這うように反射し、
室内全体の明るさを実現するとともに、縦方向の目線の動きを誘導している。
また、ふくらみの末端は座ったり、子供なら寝転んだりできる大きさ。
壁に触る・壁に触れるといった、
住宅との触覚のやり取りを実現することで、
この家にしかない、愛着の作り方を目指した。

  
  
【Dancing trees, Singing Birds】 2007
恵比寿にある集合住宅
元々、昔からの鬱蒼とした森があった土地に対して、
可能な限り木を切らずに住む住宅のあり方を模索した結果、
「木が住宅の付加価値になれば、容積を犠牲にしても賃料で取り返せるのでは?」
という全く新しいトライに結実した作品。
樹木医と契約して、根の広がり、枝振りを全部把握したり、
三次元測量によって台風時の木の挙動シミュレーションを尽くすなど、
建築業者と時に口論になりながらも、徹底して木を微視し、把握した
借景はおろか、森と完全に一体となった建物は、
いびつさが溜まらない魅力になった唯一無二の空間になっている
自然と人が共生した新しい関係を築きたかったという、意欲作。


【House C 地層の家】 2008
南房総の海岸に立てられた個人邸。
美しい地層が現れる地質や、海岸線などの景観を活かすべく、
天井や外壁を土で仕上げた
土での仕上げには施主にも参加してもらうことにより、
建築工程から建物に能動性と愛着を持ってもらう試みも。
また使用した土は南房総の現地の土。
建材マイレージ=移動コストの少ない現地の土を使った。
天井に草を生やすことで自然の断熱効果を生み断熱材代をカットするなど、
自然との調和とコスト合理性を両立した意欲作。





「振る舞いを微視する」という中村さんの流儀は、キャリアの中でいつ意識されるようになったか?』という質問に対して、商業施設の経験が大きかったと中村さんは答えた。主客がある空間の中で、人を「おもてなし」しなくてはならないのが商業施設が帯びた役割。ビジネスというある意味、あからさまに結果が出てしまうフィールドでおもてなしに最適な建築を考える中で、人の行動と感情を深く深く慮る経験が出来たとのこと。



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講義から、考えたコト


あるときはそこに住まう施主さんや居住者、あるときはそこに来るであろうお客さん、またあるときはそこで働く従業員。様々な意図・目的を持ってその空間に足を踏み入れる人を微視することで見えてくる、人の身体性・振る舞い。それをたくみに取り入れながら、その建物が帯びるべき役割・意味性を、与件や制約をクリアしつつ形にする中村さん。彼の作品にはその思想・視点が通底されているのが、その形から直感的に分かる。

加えて思うのは、「和」の考え方を非常に大事にしているということ。元々日本には茶室のにじり口など、建物側が人に振る舞いを規程しそこに感情を立ち上らせるという、一種のアフォーダンスの考え方は根付いていたように思うんですね。西洋から入ってきたマスプロダクト志向に対して、中村さんの見ている方向はある種、建築物としてのアウトプットもそこに至るまでに経る「人に対する微視」という面でも、和風の考え方が反映されているのかなあなんて思ったわけです。

マーケティングの世界でも、【定量データと定性データ】のどちらをどの程度信頼し、根拠として判断を下していくかは永遠のテーマだと日頃仕事をしてみて思うわけです。マーケティングそのものが西洋的・マスプロダクト的発想に元々は立脚した考え方なので、微視だけで突破できる領域ではないんだけども、ある仮説を得るとき、今までにない新しい価値を帯びた企画を発想するとき、みんなの平均点からだけでは絶対に出てこない。そのときに、中村さんのいう「微視的思考」は分野に関係なく必要なんじゃないかな。


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最後に、次回の授業までの宿題が出ました。

微視的視点をもって【身体性・振る舞い】と【そこから立ち上がる感情】まで設計した企画を自由に立案せよ。

そこに何らかのアクション・行為があり、そこから立ち上がるだろう感情と、その場が持つ社会的・ビジネス的目的を上手く合致させた企画を考えるというわけ。難しい! ただ、身体性については伊藤さんも言ってましたが、ともすれば人類共通の行為であり、そこから立ち上がる感情も文化・地域によってもそこまで差がなく共通のもの。上手い気づきが得られれば、今までに無かった、かつみんなが共感してくれる企画が出来るかもってわけです。こちらの宿題の講評を含めた中村さんの2回目の講義はまた後日紹介します。

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次回、第4回はグループワークのキックオフということで、当学舎モデレーターの河尻亨一氏のレクチャーでございます。また近々アップいたしまーす。

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