2012/04/09

僕らの”One”はなんだろう?

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前からよく考えるトピックではあったけど、「組織」ってなんぞやってこと。転職して新しい組織に身を置く今、特に考えてしまうことが多いです。


『One For All, All For One』

って有名な言葉。よくチームワークとあり方を説く文脈で出てくるわけだけど、元々は「三銃士」が出典元で、そこから転じてラグビーのチームプレイ精神を示す言葉として広く知られるようになった。多くの日本語訳ではこれを、『一人は皆のために。皆は一人のために』と訳しているんだけど。

実はこれ大きな間違いで、ここでいう「All For One」の”One”っていうのは、【Victory】という唯一の目的のことを元々は指しているわけです。「一人は皆のために。皆は”勝利”のために」がホントは正解。それなりにちゃんとした経営者の方ですらどや顔で大間違いしていたりするので、まあ成り立っちゃってるのかもしれないけど。

大体冷静に考えて、そもそも集団・組織というのは本来、志を同じくするものの集まりであるべきで、「一人は皆の、皆は一人のために」って、じゃあそもそも何のために集まったのさ??ってことになるのは自明じゃないですか。本当に強いチームっていうのは、それぞれ一人一人が十分に個として実力を帯びている人が、その上で尚、共通の目的のために集まっているチームのことを言うんだろうと思うのです。だから、一人じゃ何にも出来ない人が集まっても、結局何にも出来ないのよきっと。


若者文化に詳しい社会学者の古市憲寿さんは著書「希望難民ご一行様 ~ピースボートと「承認の共同体」幻想~の中で、『共同体は”目的性”と”共同性”の2軸で分析することが可能で、現代の若者の共同体に多い構造として、”目的性”がメンバー同士の相互承認によって冷却され失われ、”共同性”のみによって成り立ってしまうことがアリになっている』という趣旨の記述があって。これは要するに、「別にチームの目的なんかなくても、一緒にいるだけで幸せだからOK」ということ。別に仲よしグループならそれでいいんだけど、確かな価値をその共同体の外側に向かって実現していくことを考えたら、それじゃまったく歯が立たない気がする。







コミュニケーション手段が爆発的に豊富になり、知り合い、人となりも複層的に増え続け、いろいろな人との人間関係を常に良好にメンテナンスしなければならない要請が突きつけ続けられる気の毒な世代であるとは思うんですけど、「All For One, One For All」の誤訳と、共同体の目的性の冷却はなんだかつながって聞こえる気がするわけです。ってかまあ若い人に限らず、”組織の目的化”はどこでも起こりうることなんけどね。


組織なんて、手段です。大事なのは、目的が何か。本質的提供価値は何なのか。それだけだと思うので、優れた手段としての、最強のチームが、組みたいなあなんて思う今日この頃。自分も”ONE”のために確かに価値を作れる”One”でありたいので、精進あるのみです。ははは。

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