2013/09/25

羊羹って、おいしそうな字ですか。

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とあるご縁でお礼になんとなんと、虎屋の羊羹をいただいてしまいまして。恐縮千万な展開に一同ひええええだったわけですが、二言後にはうめえうめえ言って普通に食べてるんだから人間はゲンキンなもんです。

芥川龍之介が、ようかんが「羊羹」と書かれることを知ってから、それまで大好きだったのに、なんだか気持ち悪くなってしまって、それ以降食べられなくなったっていう有名なお話があります。その字面を知ってしまってから、なんだか羊羹に毛が生えているような、あるいは毛が混じっているような気がしてならなくなってしまい、のどを通らなくなったそうな。この話、結構僕は好きで、示唆に富むなあといつも思い出す度に思うわけです。

そもそも元をたどれば羊羹ってやつは、羊の肉の煮こごりのコトで、中国の料理だったわけだけど、日本にわたってきて僧が精進アレンジせねばってことで、色の再現性が高かったってこともあって、羊肉の代わりにあずきを煮て作ったというわけです。本当に羊だったってこと。芥川さん、頭のいい人だったから、無意識のうちに、日本語の表意性を嗅ぎ取っちゃったのかもしれないなあなんて。そう考えるとさ、日本語は音と、表意性と、そのウラにある語源のコンテクストと、それとは別個のそのモノコト自体の物性・事実性とが、いろんな配分で混ざって存在しうるわけで。その複雑で繊細な存在が好きだなあと思う訳です。

以前から、言葉は世界をセンサリングする感度そのものだとこのブログでも何回か書いてきたけど(イヌイットの雪の話とか、健啖家の話とか)、日本人の日本人性には、日本語がものすごくものすごく作用していると、まあこう書くと当たり前に思われるかもしれないけど、思う訳です。国際競争とか、グローバルとかいろいろ言いますけど、日本人が日本人性を持ってこれから世界に価値を生み出していくためにも、もっと日本語にこだわっていきたいと思うのよね。(英語はできるにコシタコトナイヨソンナノワカッテルヨ…)


そんな気持ちを大事に大事に、企画も言葉で勝ちきれるくらいになりたいものです。

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