2011/11/24

新しい”知り合い”の形

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Facebookアプリ 「Social Graph」で作ったマップ。
お互いのつながりが集中しているところにはピンクの円で、
「クラスター」が形成されています。
僕の場合は、中学、大学サークル、留学仲間、会社同僚、ライター講座に、
クラスターが形成されてます。
「人が人生を創る」とはまあこんな感じなんでしょうか。
こんな”情報”チックなもんではないけどね、人生は。


毎日、電車で見かける人。駅で会う人。会社で見かけるけど名前は知らない人。コンビニの店員。バスの運転手… 人生はたくさんの「知り合い」で外堀を構成されているように思うんですが(決して”知り合い”のままではそれ以上、内側には入ってこない)、なんだか最近、新しい”知り合い”を自覚することがあるのね。”知り合い”っていうのは、「お互いがお互いを知っていて」「かつ、相手が自分のことをおそらく認識しているということを自分も自覚している」相手だと思うのですけど、それに該当するっていう意味で。

毎日、顔を合わせて、場合によっちゃあ目があって、名前もばっちりわかって、あげく「お前の友達の誰だれって、おれも知ってるよ」とまで聞いてもないのにアピってくる。まあ多分、本人にはその意思はないんだけど。っていうか意思どころかそうやって自分の前に出てきていることすら知らないのかも知れないけど。翻って考えれば、もしかしたらそいつの目の前に自分もそうやって出てきているのかも知れないなんて、思えたりもする。

しかもそれが、ホントは知り合いじゃなかったりするんだから、驚いちゃうよね。僕はこないだ、「浅野忠信」さんとか「矢野顕子」さんにそんなことされたもんだから、その人たちの場合はそうされる前から、僕は知ってたけどさ。多分本人は絶対にそんなことになってうちの目の前に現れていることを知らないんだろうね。

不思議な、新しい”知り合い”の関係だなあと思ってふと。知り合いじゃないのに、むしろそうして毎日出てくることで、もはや知り合っちゃうような。今まで、「実存する人間関係の拡張」という位置づけで見てたんだけど、こうやって考えると、新しい人間関係は生まれているんだろうね。

上のマップのパスがどれだけ多いかで、単純に出しているだけなんだろうけど、毎日出会うあの人、っていうのがいる。そんなfacebook。テクノロジーが及ぼすこういう、人間のふにゃっとした感情を考えるのが好き。そんなメモでした。

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