2011/07/25
”きらきら”の好奇心
ここ最近で一番、刺激を受けたクリエイティヴィティをメモメモ。
とりあえず読んでみてほしいのです。
↓↓↓
「アサリがあっさり死んだわけ」豊島区立池袋第三小学校4年 大澤暁人
感動したよね、このマジリッケなしの好奇心に。このコはきっとテストの点数もいいに違いないとは思うけど、そういう”頭がいい”とかいう尺度ではなくて、気になったことを次々とココロの向くままに調べてったらこうなったんだと思う。これで、文部科学大臣賞。うなずけます。
大人になるとなにかにつけて、【根拠】とか【大儀】とか【理由】とか【意味】が求められるようになって。それはきっと、【責任】がただただ増えていく中で、優先順位をつけていかないといけないときの判断材料として、否応なくそうなってしまうんだろうけど。時間にも社会にも人間関係にも、なーんにも囚われずにただひたすらアサリのことだけ考えた数日間が、キラキラまぶしいよ大澤くん。そこに”意味”なんていらないんだと思うのです。
ただね、さっき”大人”って何かいろいろ書いたけど、自ずからそういった樹海に迷い込んで、勝手にがんじがらめになっているような気もします。人生はもっと自由だし、怒られないし、恵まれていることにこの国では中々死なないし。だから、最も厄介な”大人ゴコロ”は自分が飼い膨らましている気もします。
自由に自由に。やりたいことから逃げないで一生懸命やってみましょう。
2011/07/20
素直であること。
自分が思うことに正直であることは、殊人と一緒に生きていくうえで中々出来るもんじゃないよね。出来るとしたら結局、何かを「信じる」ことでしかないんだと思った、このDVDを見て。
元々、越智志帆さんは出だした頃から別格に上手いと思って聞いていて、CMもライブ動画も散々観聞きしてきたアーティストだったんだけど、なんかいまこの自分のタイミングでこのDVDを観て、いろいろ飛んできたね。
本当に音楽が好きで、ステージが好きで、歌うことが好きで、ジャニス・ジョプリンが好きで。その純度の高さと熱量の高さが、すごいオーラとなってうねり出ているような。純粋に、うらやましいなあと思った。
[Live] Superfly 「Piece of my Heart」 Dancing at Budokan!!
最近の自分は、環境や他人のネガティブなところばかり自分の中で咀嚼して増幅させて、勝手に毒気にやられて、イヤになって。で結局なにがしたいねんって感じだったんです。雁字搦めDaysっていうような。越智さんだってたとえば、ジャニスが好きで、ウッドストックにあこがれて、プレッシャーで潰れそうになりながら歌いあげて、いい顔してて。その陰で、多分たくさんのバッシングを受けてると思うんですよ。ジャニスに失礼だとか、ウッドストックに出るほどのもんじゃないとか。でも、そんなの気にしていても意味がないし、ハッピーじゃない。そんなことより、好きが上回ればいいだけのこと。バッシングが怖くて、好きに蓋をするなんて、自分の人生の主人公は誰よ?ってことになってしまう。
ただ、素直であること。好きなこと・思うことを信じる強さを持つこと。まっすぐであること・正しいこと・真面目でマジであること・一生懸命であることを茶化さない、逃げないこと。いい機会にいい映像を見れて、よかった。前向いてがんばります。うし。
2011/07/19
荒俣さんと博物学
今まで世の中になかったような革新的な企画を生み出している人は、すべからく物知りで好奇心旺盛であるってことは、間違いなくいえるんじゃなかろうか。
アイデア発想の『基礎体力』として、そして日ごろの”幸せ握力”を上げるうえでとても重要な『雑談力』向上のトレーニングとして、うちが自分の家のトイレに置きっぱなしにしている2冊。どちらも300ページくらいある辞書風の本で、物事全般対象の前者と、人物にフォーカスした後者です。
最近読んだ中で面白かった気づきはね、
・「僕」という一人称を初めて使ったのは、吉田松陰
・吉良上野介は、領土の民から愛された名君だった
・「だらしない」の語源は、「しだら」=修多羅(サンスクリット語で「秩序」)のない”しだらない”が江戸で流行った逆さ言葉によって”だらし”に変化したもの
とかでしょうか。
好奇心って何かと考えるとき、うちはその定義のひとつに「分からない・知らないものに出会ったときに、それをほったらかしに出来ない気持ち」だと思っていて。一日外を歩いていれば知らないことなんておそらく、100以上必ず接触しているはずなんです。でも、それを人は「知らない」のまま流して生きようと思えば生きられちゃう。”生活に必要不可欠な知識”である度合いが低ければ低いほどなおのこと。この本を読んでいると改めて、「世の中には知らないことが山ほどあって、いかにそれを日々踏み倒して生きているか」に気づかされる。
それと同時に、「だからこそ人間は面白い」とも思える。知らないことと遭遇することが快楽につながる生物って少ないと思うんですよ。基本的に、ご先祖さまが遺伝子レベルで残してくれた、「生き残る確率が最も高いプログラム」によって生き物は行動しているし、”未知との遭遇”はただそれだけで生命の危険として認識するはずだから。でもそれを逸脱して今まで来たのが人間でしょ。最初に石器使っちゃった人も、最初に火をおこしちゃった人も、そんなものは遺伝子プログラムに入ってなかったはず。だからこそ、イノベーションが好きな生き物として種を残してきたんじゃないかな人間って。
2011/07/18
最近知った、秀逸ラジオCM
最近知った、かなり秀逸なラジオCMをちょっと紹介。
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クルマ用ファブリーズ ラジオCM 「デモクサイヨ」
子供の無邪気さって、ずるいよね。でもこれが正しい反応なんだと思う。正しいこと・第一感情で言葉を発すること、要するに素直でいることが、どうして大人はできなくなってしまうんでしょね。そしてそんな感情を子供に代弁させるとどうして、嫌味なく伝わるんでしょね。まあ、このCMはよくできていて、かつ面白いと思う。
ラジオCMって奥が深いよなあとつくづく思うし、ハッタリが効かないフォーマットだなとも思う。AR3兄弟がWIREDでインタビューした慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の稲見昌彦氏が、
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『人間の目って意外とボトルネックなんです。僕から見ると、五感の中で視覚は「ぽっと出の感覚」。だから、バグが多い。生物の進化の過程だと、ごく最近に獲得された感覚。逆にいちばん古いのは、味覚や嗅覚ですよね。ゾウリムシだってもっている感覚ですから。触角もそう。モノが見えるというのは、比較的新しい感覚なんです。だから錯覚が生まれる。』
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と論じていたのが最近、印象的に残っていて。そう考えると聴覚も比較的最近獲得された感覚なのかもしれないけれど、視覚よりは古いってことで、なんだかこれ、古くから備わっている感覚のほうがごまかしが効きづらい気がするわけです。だってそこでバグが出ちゃった生き物は淘汰されてきているという仮説が成り立ってくるから。
だからってわけじゃないのですが、ラジオCMって音だけで世界を描き切って、リスナーの頭の中にそれを想像・創造させるわけだから、それはそれはごまかしが効かないし、奥が深いなあって。音楽ももちろん基本的には聴覚に向かっての表現なのだけど、あれには「リズム」っていう、無条件に身体が喜ぶ要素が入っているから、ラジオCMとはまた違うんだと思うのです。セリフだけで世界を作り、足りない要素をリスナー側に補わせちゃうように仕向ける。すごい匠の技だと思ったとさ。
どの五感に対しての表現なのか、っていう視点は、大事なポイントかもしれないと、メモメモ。
2011/07/17
盆栽をちょっとだけやってみた
3連休の初日。何をしてたかっていうと、布団シーツを総洗濯して、メロディオン(前のポスト参照)購入して、それから盆栽体験に行きました。脈絡ないですよね。np広告学校の一期後輩の子にふとしたはずみで誘ってもらって、そういえばやったことないと思って好奇心で参加してきたわけです。
盆栽ってほら、可処分所得と時間がふんだんにある壮年男性の趣味っていうイメージで完全に出来上がっていて、日曜18時からのアニメがそれをかなり強く促進してきたんだと思うんだけど。友蔵と波平でね。ただ、植物を造形してそこに世界を立ち上がらせるっていうこと自体、もっとみんな楽しんで出来るんじゃね?って思っていたので、とってもいい機会になりました。
行ってきたのは表参道ヒルズの裏手にある、【彩花盆栽教室】というところ。江戸時代から170年以上続いてきた老舗盆栽園【清香園】の5代目、山田香織氏が提唱する”彩花盆栽”が習える教室にございます。今回の木は、「スイレンボク」。シナノキ科の常緑低樹で、小ぶりの花がかわいらしい木です。鉢にすでに植わっている状態から、「成形」と「苔はり」の2工程だけ今回は体験してきたわけだけど。
まずは成形。古い葉、落葉をきれいに取り除いてから、この木の「正面」を決めます。茶器でもそうだったけど、やはり盆栽にも”正面”が存在するらしく、それを見極める。盆栽の正面とは、幹をしっかり認められ葉がそれを隠していない角度で、かつ幹がこちら側にせり出して”お辞儀”している方向が正面ということ。これがなかなか難しいんですけど、大前提として『盆栽は幹の形を何よりも楽しむもんである』という感覚がつかめればOKですね。で、次に「頭」を決めます。造形全体の頂点となる部分を決める。そこをトップに、楕円形をイメージしてそこに収まるように、ほかの枝の先端を剪定していくわけです。頭とは別に、もっとも大きく主張している「見せ場の枝」に重心を寄せてあげると、アシンメトリーな感じがかっこよくなりやすいとのこと。幹には針金が巻いてあるので、両手でそっとまげてシルエットをかっこよくしてみたり。そうね、つまりはかっこよければ何でもいいわけなんだけど、そこにセンスとか好みが出て面白い。
で、次に苔はり。盆栽では、「水やり3年・苔はり5年」とまでいうくらい、これが奥が深かった。苔床から苔を適度な大きさにちぎって、根っこを切って厚みを整えて、土の部分を覆っていきます。一度にどのくらいの大きさの苔をかぶせるかによって、丘のデコボコに表情ができて、これがまた面白い。
で、最後に土を拭いて、今日のところは完成!
ちょっと、楕円形に収まってるニュアンスと、見せ場の枝がどのことだか、分かっていただけますでしょうか笑
やっていて思ったのは、とんでもなく心が集中して静かになるということ。人って、土に触っているだけで脳内でなんか出てるんだと思うのです。緑もそうだけど。余計な心配とか携帯電話とか、一切気にならなくなって、ほかの脳のスイッチが切れる。これはとても貴重で贅沢な時間の過ごしかたなんじゃないでしょうかね。じいさんの趣味としてどれだけぴったりかも分かったけど、忙しい社会人にも、こういう時間を大事にしてほしい気がします。ただ手入れが結構手間なので、やはり忙しい人には難しいかもね・・・
という、心穏やかな土曜日の午後でした。オススメのアクティビティです。
2011/07/16
MELODION PRO-37AR ~50th Anniversary Model~
いい買い物を、ついついしてしまいました!笑
SUZUKIの【Melodion】 PRO-37の鈴木楽器50周年記念限定モデル。要するにわかりやすくいうと、鍵盤ハーモニカです。でも、小学校のときに使っていたようなやつと比べたら、全然上等な一品。限定モデルだけの赤いボディと、マウスピースがラッカー仕上げなのにやられて購入してしまいました。
実は鍵盤ハーモニカは持っていたんですけど、ひょんなことで久々に吹いてみたら音が出なくて・・・ いずれはいい一台を買おうと思っていたので、結果オーライでございます。
普段、キーボードをメインでプレイしていると、彼らは電子楽器なわけで、音が発音されるメカニズムを弾いていて体感できる割合がどうしても低いんですね。というのも、発音原理が体感できないから。確かに鍵盤を押すことによって発音している”風”ではあるんですけど、物を叩いたり弾いたりして音を実際に『物理的に』鳴らしているのと比べて、体に遠いところの出来事だと思う。
最近よく、身体性について考えているんだけど、「物理的に何が起こっているのか、体感できること」っていうのは、その出来事と自分の心のシンクロ率という意味で重要なファクターなんだろうなあと思います。なので、鍵盤ハーモニカはそういう、電子キーボードにはない、「確かに息を入れて鉄板を振動させて音が今ここで鳴っている」という、身体に近いところでの演奏している実感が強くて、気持ちいい。トロンボーンをやっているときなんか、唇震わせて音を鳴らしていたわけで、そのときの身体性の強さを思い出した感じで、買ってよかったほんと。
身体に近いところで音を出す、という意味では、息を使っているというのもとってもいいことで。音楽のフレーズにはすべからくして「呼吸」が存在すると思っていて、心地よいメロディには、それが呼吸楽器であろうがなかろうが、「息」があると思う。鍵盤楽器は息を考えずに無尽蔵にベロベロ弾き続けられてしまうがゆえに、聞いていて心地よくないフレーズを立て並べてしまうこともしばしば。それを矯正するっていう意味でも、この楽器は気持よいです。メロディ開発に使えそうと期待。
いやー、やっぱり電気がなくても鳴る楽器はいいですね!笑
いい買い物でした。いつかライブで使ってやります。
2011/07/15
今、この身体、この瞬間
茶道では、座敷に花を生ける行為について本来は、「生ける」とはいわず、「入れる」と言ってきたらしいです。一度命を絶った花に再度命を吹き込むという「生ける」ではなく、衒いや作為がなるべくないよう、自然の花の美しさをそのまま茶室に移し変えてくるという意味だろうという解釈ですね。茶の湯の花は長時間開き続けるものを好まず、その日、そのとき、その人のために入れた花をよしとし、その瞬間の花の美しさを切り取るように入れる。
それでも花の美しさは茶事の間に衰えてしおれていく。でもそれは悪いことではなく、「即今」にすべてがあるという真理を見せてくれることである。茶事は時間芸術であり、そのために南向きの茶室をしつらえ、光の演出を取り入れ、茶事の行為の音や振る舞いの絹摺れなど、多くの時間が流れている。花もそのひとつとして、ただその瞬間を慈しみなさいと。とても日本的な美意識で大好きな話なんですけどねこれ。
===
たまたま読んだこの本。「集中」を妨げる要因として、【時間軸】と【自他軸】の二つで整理をしていて。
【時間軸】とはすなわち、未来や過去に意識が及ぶことだと書いてあります。「これをはずしたら試合に負けてしまう」「昨日の怪我が気になって全力が出せない」「あと2分逃げ切れれば勝利できる」などなど、過去や未来に及ぶ思考に頭が囚われてしまうと、今がおろそかになり、集中力はそがれ、緊張により体がこわばる。ただ”今”という瞬間にのみ拠って立つ意識こそ、集中というわけです。
【自他軸】も等しく、「あいつは俺より体も大きいし体力もある」「ヤツは前年度のチャンピオンだ」「相手の方が格下と言われているがこれで負けたら面子が保てない」などなど。これも一緒で、自分の努力の範疇外である相手という存在そのものにいかに意識を及ばせたところで、それは集中力を阻害する要素以外の何者でもないわけです。
何でも一緒やなあと思って。花も、仕事も、スポーツも、音楽も、人間関係も。ただ”今”に拠ってのみ行動する。未来を織り込んで計画を立てたり、過去を省みるときも、その行為をしている”今”ということに集中する。先過ぎる未来に憂鬱になってばかりいても、変えることの出来ない他者について悶々と考えても、そればっかりでは仕方ない。今、自分が、この体で何ができるかに意識を全解放するって、大事ね。そういう意味ではやっぱり、「身体性」を強く自覚できている人のほうが、スポーツ以外の事柄に関しても集中力が高いんだろうなあ。自分の体に対する自覚度の高さ。
「今、この身体、この瞬間」を大事に。そのままの自分を一旦認めた上で、何をするか。
『で、君は何がしたいの??』という、そこですよね、本当に大事なのは。
俯瞰しすぎず、達観しすぎず、客観しすぎず。今に集中!
俯瞰しすぎず、達観しすぎず、客観しすぎず。今に集中!
2011/07/13
Why to say ??
広告のお仕事で企画を考える上での有名なフレームワークのひとつに、
What to say ?? 【何を伝えるか?】
How to say ?? 【どうやって伝えるか?】
で分けて考えるというものがあります。
たとえばビールの広告を考える場合、What to say? は、【のどごし】【キレ】【素材のよさ】【コク】なんかが考えられます。必ずしも1つに絞らなくてはいけないわけじゃないのだけど、「それを知った人がそのよさを他の人にさらに伝えてくれるとしたら、なんて言われ方をされるのか?」を考えると結果的に、1つか2つくらいの要素に煎じ詰める必要がある。
競合商品は何を言っているか? 想定ターゲットは何をその商品やビールというカテゴリーそのものに求めているか? そんなことを考えた後、無事に”何を伝えるか”が決まるわけです。そしたら次は、How to say? を考える番。どの媒体で、どんなタイミングで、どんな表現手法で、どんな感情を呼び起こすことを目的として、コミュニケーションしていくのか。言ってることは一緒なのに、話し方次第でまったく伝わり方が変わってしまうのと同じで、”どうやって伝えるか”はとっても重要なわけです。
でも、最近思うのは、この2つ以前に、
Why to say ?? 【何故、それを伝えようとするのか?】
こそ大事やなあと思います本当に。
なぜこの商品は存在しているのか? なぜそのものの価値を世の中に提唱していく必要があるのか? なぜ開発者はこの商品・サービスを世に生んだのか? 伝える前提となる、存在意義。それが如何に骨太に、世のため人のためを思っているものなのかこそ、コミュニケーションの強さにも直結してきている気がする。
【本質的提供価値】という言葉が好きで、よく考えるようにしているんですけど、「要するに、誰をどううれしくハッピーにしてくれるのか?」 ってことなんだけど。これはきっと資本主義社会における消費活動、ということだけではなくて、何かと何かのやり取りが生まれればそれがビジネスだろうと他愛も無い雑談だろうと、等しく必要なんだと思うのねん。それをどれくらい強く意識するかは別として。
こんなこと書くと、”大人たち”からすると、いちいち面倒くさく本質論ばっかいう、まるで中二病のようなやつと思われるのかもしれないですけど、世の中にInnovationを齎してきた先人はみんな、この目線を持てていたと思う。何でこれやってんだっけ??という、そもそもの視点。
本質を見抜く力、本質価値を高める力をこれからも高めて生きたいねん。それが叶えば、ぶっちゃけ広告だけじゃなくてなんにでも通用する、クリエイティブディレクターになれると思うのです。常に柔軟にフラットに、本質を見据えて、逃げないように。自戒記事でした。
What to say ?? 【何を伝えるか?】
How to say ?? 【どうやって伝えるか?】
で分けて考えるというものがあります。
たとえばビールの広告を考える場合、What to say? は、【のどごし】【キレ】【素材のよさ】【コク】なんかが考えられます。必ずしも1つに絞らなくてはいけないわけじゃないのだけど、「それを知った人がそのよさを他の人にさらに伝えてくれるとしたら、なんて言われ方をされるのか?」を考えると結果的に、1つか2つくらいの要素に煎じ詰める必要がある。
競合商品は何を言っているか? 想定ターゲットは何をその商品やビールというカテゴリーそのものに求めているか? そんなことを考えた後、無事に”何を伝えるか”が決まるわけです。そしたら次は、How to say? を考える番。どの媒体で、どんなタイミングで、どんな表現手法で、どんな感情を呼び起こすことを目的として、コミュニケーションしていくのか。言ってることは一緒なのに、話し方次第でまったく伝わり方が変わってしまうのと同じで、”どうやって伝えるか”はとっても重要なわけです。
でも、最近思うのは、この2つ以前に、
Why to say ?? 【何故、それを伝えようとするのか?】
こそ大事やなあと思います本当に。
なぜこの商品は存在しているのか? なぜそのものの価値を世の中に提唱していく必要があるのか? なぜ開発者はこの商品・サービスを世に生んだのか? 伝える前提となる、存在意義。それが如何に骨太に、世のため人のためを思っているものなのかこそ、コミュニケーションの強さにも直結してきている気がする。
【本質的提供価値】という言葉が好きで、よく考えるようにしているんですけど、「要するに、誰をどううれしくハッピーにしてくれるのか?」 ってことなんだけど。これはきっと資本主義社会における消費活動、ということだけではなくて、何かと何かのやり取りが生まれればそれがビジネスだろうと他愛も無い雑談だろうと、等しく必要なんだと思うのねん。それをどれくらい強く意識するかは別として。
こんなこと書くと、”大人たち”からすると、いちいち面倒くさく本質論ばっかいう、まるで中二病のようなやつと思われるのかもしれないですけど、世の中にInnovationを齎してきた先人はみんな、この目線を持てていたと思う。何でこれやってんだっけ??という、そもそもの視点。
本質を見抜く力、本質価値を高める力をこれからも高めて生きたいねん。それが叶えば、ぶっちゃけ広告だけじゃなくてなんにでも通用する、クリエイティブディレクターになれると思うのです。常に柔軟にフラットに、本質を見据えて、逃げないように。自戒記事でした。
2011/07/11
東京企画構想学舎 伊藤直樹学科 授業ログ No.07 野村友里氏 (2010/11/29)
前回までのログ
東京企画構想学舎 伊藤直樹学科 授業ログ No.01 (伊藤直樹氏)
東京企画構想学舎 伊藤直樹学科 授業ログ No.02 (伊藤直樹氏)
東京企画構想学舎 伊藤直樹学科 授業ログ No.03 (中村拓志氏)
東京企画構想学舎 伊藤直樹学科 授業ログ No.05 (幅允孝氏)
東京企画構想学舎 伊藤直樹学科 授業ログ No.06 (千房けん輔氏)
~~
東京企画構想学舎ログの第7回目。だいぶ間が空いてしまいましたが、今回はフードディレクターの野村友里氏が講師です。「フードディレクター」のお仕事の内容から始まり、人間にとって生命活動の根源である”食べる”ということに根ざした企画のやりがいと難しさを、野村流企画術にと併せて語っていただきました。今回は対談形式の授業ということで、更なる特別ゲストとしてコピーライターの国井美果氏と編集者の伊藤総研氏も加わって、にぎやかでなごやかな授業になりました。
フードディレクターのお仕事
「今日は、私がここまでどうやって”生き延びてきたのか”をお話しますね」
そういって話し出した、野村友里氏。普段、講師業は全くやっておらず今回が初めてということで、助太刀にと国井美果氏、伊藤総研氏を従えて、対談しながらの授業になりました。まず取り上げたお仕事が、2010年のTCC(東京コピーライターズクラブ)の年鑑のアートディレクションのお仕事。
コピー年鑑2010
「広告は料理だ!」をコンセプトに、
受賞者たちをコックに見たててアートディレクションされた一冊。
野村氏はコピーライターたちの”料理の先生”兼、
年鑑中に出てくる料理のディレクションを全て担当。
”環境、場、そこに立ち上がるつながりまで考えてこそ料理人である”という野村氏の持論に意気投合した年鑑のデザイナーだった国井氏がコンセプトを開発。【料理もコピーも、思いをとどけるコミュニケーションであり、おもてなしである】という裏のメッセージをこめた、洒落た年鑑になっている。
母が料理教師という家庭に生まれた野村氏。大学時代はカメラマン志望で、結局はインテリア会社に就職。インテリアのデザイン・販売をしていくうえで、『人の生活に入り込まなければいいインテリアは売れない。』という事実に気づき、インテリア以外のジャンルとの積極的なコラボレーションを通じて、モノ以前に生活をより意識するようになる。そして最も注力したコラボレーションが、料理とのコラボだった。それは、食こそが生活・そして生きることと最もダイレクトにつながっているドメインだったから。やがてチームでの仕事スタイルを求めて、プラットフォームとしてフードディレクション集団【eatrip(イートリップ)】を結成し、グラフィック、空間デザインなどの多様な人材で構成されたチームで活動している。
eatripとしての仕事は多岐にわたるが、大きく分けると【ケータリング】【雑誌・書籍企画】【映像】の3つに分けられる。
【ケータリング】
【ケータリング】
ブランドロンチやショップオープンなどのプレス発表パーティを主な場として、クライアントのその場に対する要望を丁寧にヒアリングした上で、望まれる世界観を実現するための、そのときだけのケータリングを行うというお仕事。多くの人に広く知らせるのではなく、その場に確かに足を運んでくれた人たちに最大限、いい思いをしてもらうための企画になるので、あまり認知はされていない作品ばかりだったが、是非その場で実際に食べてみたいと思わせる料理ばかり。いくつか紹介を。
Case1 【ORIGINS】press party 2008 summer
自然派コスメブランド【Origins】のプレス発表会。
オーガニックでカラダに害のないブランドという価値を食にも踏襲し、
『食べれるコスメ』というコンセプトでケータリングと空間設計を担当。
食を取り入れたおもてなしの方がプレス発表会の滞在時間が長くなり、
より濃いブランド体験を通じて興味を喚起し、本質価値まで理解してもらった上で
記事として取り上げてもらえるだろうという狙い。
会話がたくさん生まれた、なごやかなプレス発表になったとのこと。
Case2 【FINAL FANTASY 13】 Press Party
「地球のはじまり」をイメージした料理空間を設計。
スポンジ生地やフルーツ、野菜を利用して、
原始の地球の表面を作り上げた。
大地のほとんどは食べられる設計になっており、
オーケストラの生演奏とともにアンベールされた、
広大な料理の世界に一同ビックリだったという作品。
Case3 【Pass the baton omotesando】 Opening reception
思いと共に受け継いでいくというコンセプトのリサイクルアイテムブランド。
その表参道店のオープニングということで、料理もリサイクルがコンセプト
そこに参加してくれたお客さん同士の間に”バトン”が起こるように、
手渡しで参加者が回す”あきびんジャム”を多数用意。
その他の料理も「人の手から手へわたる」ことを念頭に、
取り分けたり、酌み交わすことを設計に織り込んだ。
コミュニケーションも和やかに進み、ブランド思想を投影したかのような、
暖かいレセプションになったとのこと。
※その他のworksはコチラをどぞ。
ただ単においしい食事を持っていくだけでなく、依頼主がその空間や、その場に招待したゲストに何を【伝えたい】のか。徹底的に事前にヒアリング・ミーティングを重ねた上で、それを”料理による総合空間コーディネート”で具現化する。「料理によるコミュニケーション」を地で行く野村氏の作品の発想の自由さに、単純にワクワクさせられる。
【雑誌・書籍企画】
eatrip名義での雑誌連載や書籍出版の実績も多数。単なるレシピ紹介ではなく、単なる料理評論でもない、「食と、それに関わる人の思いを浮き彫りにする」ことをいつも考えているという野村氏。その思いに共感し、食べてみたい!と思ってくれる人のためにも、もちろん当然レシピはついているわけだけど。何しろ普遍的なテーマなので、誰でも巻き取れるのが”食”の強さだなあと思う、出る側も読む側も。ひとつだけ作品を紹介。
Case4 【われらがeat☆star】 雑誌「装苑」連載企画
食べ物を切り口にゲストのパーソナリティに近づく企画。
ゲストのキャスティング+その人のための料理企画をミニマムに、
メイク、撮影、取材インタビューまで総合的にプロデュース。
大好物・懐かしの味・大好き食材のフュージョンなどなど、
ゲストの”らしさ”が存分に発揮された、おいしそうな記事ばかり。たとえば、
浅野忠信氏×浅野家のジャンボコロッケ
石川直樹氏×だし巻きたまご
箭内道彦氏×すずきのいちごマリネ などなど。
写真は、荒川良々氏×よしよしチキンカレー の巻。
必要ならば、ゲストの母親にレシピ取材まで行うほどの徹底振りで
充実のインタビュー記事になっている。
「人にはおいしいものを食べたときしか、話してくれない話がある」という野村氏。その思いが見事に結実した、プライベートなインタビューに成功している。これ以外の誌面企画も多くは、誰か「人」が介在し、そこに「思い」を顕したものがほとんどだという。それこそがその、”食”と”ココロ”の密接不可分な関係性の下に、巧みに、かつ人間くさく企画を立ち上げる野村氏の真骨頂なのかも知れない。
【映像企画】
eatripおよび野村友里氏の名前を一躍有名にしたのが、初監督作品「eatrip」。”生きることと食べること”に静かにスポットを当てたドキュメンタリー作品で、野村氏はコンセプトメイキングと総監督ほか、劇中の料理の監修ももちろん担当している。
”なぜ映画を撮ろうと思ったのか?”という問いに対し、野村氏は、
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『物の選択に追われる毎日。そんな中でも食というのは、取捨選択する前の普遍的な共通のテーマだと思った。映像にしたのは、それが一番、感じる伝え方だと思ったので。ひとつの答えを出すつもりはなかった。共有感と共通感、感じることがキーワード。』
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と答える。出演者の普段の生活にお邪魔しただけの、ありのままの撮影にこだわり、音もその場の生の生活の音にこだわった。
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と答える。出演者の普段の生活にお邪魔しただけの、ありのままの撮影にこだわり、音もその場の生の生活の音にこだわった。
国内外の8つの映画祭に招待された今作は、『生きる』『食べる』というテーマがもつ普遍性のあるの力強さと注目度の高さを証明している。しばらくDVDを出さずに、ゆっくりと全国を巡回しながら上映するという形態を選択した野村氏は、「そこに人が集まって同じタイミングで何かを感じることにこそ、この映画の意味があると思っている。そしてそこに食や、それに関する議論の場が生まれる。それこそが自分が映画を通じて実現したかったこと」と語ってくれた。
胃袋でシンクロする
胃袋でシンクロする
最後に質疑応答を受けてくれた野村氏。いくつかそこでのやり取りをご紹介する。
Q.食は普遍的であると同時に、人それぞれの好みが強いジャンル。特にケータリングにおいて、どうメニューを決める?
A.何よりまずオーダーをくれたただ一人の人だけを喜ばすつもりで考える。まずそこから波及していくし、そこがクリアできないとそれ以上の人たちには広がっていかない。おもてなしする主が自信を持って、「これはおいしいでしょ?」と思えるものを。そのためにはまず、主が好きなものを考える。
Q.好きなことを仕事にすることについて。料理が嫌いになったりしないか。
Q.食は普遍的であると同時に、人それぞれの好みが強いジャンル。特にケータリングにおいて、どうメニューを決める?
A.何よりまずオーダーをくれたただ一人の人だけを喜ばすつもりで考える。まずそこから波及していくし、そこがクリアできないとそれ以上の人たちには広がっていかない。おもてなしする主が自信を持って、「これはおいしいでしょ?」と思えるものを。そのためにはまず、主が好きなものを考える。
Q.好きなことを仕事にすることについて。料理が嫌いになったりしないか。
A.仕事にしてるつもりはあんまりない。ワクワクすること、誰もやってこなかったことに飛びこんでいって、食と人のつながりを面白く仲介していくのが自分の使命だし、たまたまお金をいただけているのが現状。だから不安定だし、これでお金とっていいの?と不安にもなるが、自分が見ている価値そのものには自信があるし、そこに向かって進んでいくこと自体に不安はない。だから楽しく頑張れている。
Q.仕事をする上で最も大事にしていることは?
A.人の心を考え尽くす。料理はココロが通じ合うことにこそ価値がある。同じ物を胃袋に入れること自体が、すごく密なコミュニケーションだと思う。なので、”完璧”はあまり目指さないしそんなものはないと思う。完璧なものはひっかからない。完璧じゃない部分に、外から物が入り込める。完璧だとそれで終わってしまう。その穴に、相手を巻き込めるかもしれない。
Q.自分の仕事にお金をつけるとき、どう考えている?
A.良心価格だと思う笑 原価プラス数%で。でもこだわりたい主義で、諦めない。やっているうちに原価がオーバーしていることも。でももし折り合いがつかなかったら自腹切ってでもやる。責任があるし、人になにか伝わる物だし、やり通す。
Q.仕事をする上で最も大事にしていることは?
A.人の心を考え尽くす。料理はココロが通じ合うことにこそ価値がある。同じ物を胃袋に入れること自体が、すごく密なコミュニケーションだと思う。なので、”完璧”はあまり目指さないしそんなものはないと思う。完璧なものはひっかからない。完璧じゃない部分に、外から物が入り込める。完璧だとそれで終わってしまう。その穴に、相手を巻き込めるかもしれない。
Q.自分の仕事にお金をつけるとき、どう考えている?
A.良心価格だと思う笑 原価プラス数%で。でもこだわりたい主義で、諦めない。やっているうちに原価がオーバーしていることも。でももし折り合いがつかなかったら自腹切ってでもやる。責任があるし、人になにか伝わる物だし、やり通す。
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講義から、考えたコト
何よりも「コミュニケーション」の実現を料理において目指していた野村氏。言葉よりも原始的かつ普遍的といっても過言ではない「食」をドメインに企画を世に送り出している彼女の作品は、いろんな理屈はおいておいてまずなにより「おいしそう」だった。人が「おいしそう」なものを目の当たりにしたり、実際口に運んだときには、そのときにしか見られないその人の本音・素があるという言葉には深く納得したし、それこそが彼女の企画術の全ての出発点にあると感じる。
それと同時に”食”を企画のドメインにすることの難しさも感じたというのが正直なところ。レストランを経営するような事業主になるのならまだしも、誰かと誰かを繋ぎ、価値を伝え合う「コミュニケーション」に対価をどのように設定し、価値を実感してもらうか。客観的に評価することはきわめて難しいと思う。だからこそ、野村氏が言った「なによりオーダー主を喜ばせる」という出発点は納得がいったわけです。”主観的な満足”をいかに積み重ねていくかこそ、彼女の価値の蓄積になるし、料理とはそもそも、そういう世界なのだと。何しろ食べて、「おいしい!」と思ってもらうことに全てがある。そういう意味では、「絶対価値・絶対評価」が占める割合が非常に多い、稀有な企画ドメインなのかも知れない。ま、稀有といっても、それは全ての人間が自分ごと=自分の主観でジャッジできてしまうほどの揺るがないテーマだということの裏返しでもあるのだけど。
絶対価値で勝負することから逃げず、実際に口に入れてもらうことでそれを証明する。そして、ただおいしいだけにとどまらず、そこにコミュニケーションをもたらす。野村氏の企画術は骨太ながら、今まであまりなかった立ち居地だなと思ったわけです。
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そして恒例の課題。野村氏が出した企画は、他の講師よりも非常に抽象度が高いものでした。
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月でのパーティーへのケータリングのオーダー
招待客、12名。月にお客様、地球人ではない。
時間も予算も上限なし。
20・・年○月○日 満月の日
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なんともメルヘン笑 ただこの課題で野村氏は、「自分と立場が違う人間が何を思い、何に喜ぶのか、考えつくす訓練をしてほしい」との狙いを持って出してきたとのこと。マネタイズやフィジビリティと向き合う以前の、「慮るココロ」を、食という全生物共通の企画ドメインだからこそ設定したかったというわけです。
次回の授業では、野村さんも課題をやり、かつ実演するというものすごい展開を見せたわけです。まさに、「主観で実際に体験することの強さ・間違いなさ」を思い知ることになった講義でした。野村氏の授業は2回連続でしたので、次の東京企画構想学舎ブログも引き続き、野村氏の授業をご紹介します。Coming Soon! (になるように頑張ります・・・)
(文・吉田将英)
(文・吉田将英)
2011/07/04
今月の”食べた!” ~2011.6月~
先月までの【食べた!】レビューは以下↓↓
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今月といっても6月のことだけどw 6月は割とコンビニ夕飯の月でした・・・ よくないですね。もっともっと自炊をしたいのだけど、コンスタントに夕飯が家で食べられないと、食材を買ってもすぐにダメにしてしまうので、結局億劫になってドロップアウトというオチ。あとうちはコンロが一口しかないんですよね・・・
なんて、うちの身の上話はいいとして、今月いただいた、はじめてのお店は以下↓
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・銀座【いし井】つけ麺 ☆3
・広尾【CICADA】 地中海料理・ダイニングバー ☆5
・渋谷【神南軒】 ダイニングバー ☆3
・外苑前【ヘンドリクス】 カレーバー ☆4
・外苑前【アルトモンド】 イタリアン☆5
・銀座【テルミニ】 イタリアン・ワイン ☆4
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☆☆☆今月のベスト3☆☆☆
【アルトモンド】
外苑前のユニマットビルの屋上にある創作イタリアン。
何しろ場所がいいよね。夜景が素敵です。
お料理もお値段の割に大量に出てくるので、
満足感はばっちりです。
創作と銘打っているだけあって、
どれもひとひねりもふたひねりも加わった、
ここでしか食べたことのないような面白い味わいのものばかり。
平日に早く仕事を切り上げてボーっとしに行きたいです。
【CICADA】
広尾の地中海料理のお店。
何しろにぎやかなお店でガイジンさんもたくさん来てました。
タジン鍋やクスクスなど、地中海・モロッコの雰囲気と、
スペイン・イタリアの陽気でオシャレな味わいが、
ミックスされていて独特の空間でございました。
オリーブオイルが5種類から選べて(有料)、
それをピタパンなり何なりにつけると、それだけで旨い。
オリーブオイルって食べ比べるとこんなに味が違うのか!という発見もあり。
にぎやかで楽しいお店なので、大勢でパーっと行くのが吉ね!
【レ・ビノム】
これまた広尾の、フレンチビストロ。
上のシカダはめちゃくちゃ近所です。
先輩にゴチになってしまったのですが、
ワインも安いのにいいヤツをしっかり仕入れていて、
信頼できるソムリエさんもついて、ホスピタリティな感じでした。
(女性の方です。男性は不親切だったので注意!)
料理も一品一品とてもジューシーで、きっといい時の食材をちゃんと使ってるんでしょう。
〆にはこの店一番の名物のうずらのカレーを是非是非。
欧風カレーとはまたちと違う、コクがおなかいっぱいでも食べられちゃうんだなこれが。
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お店の数は先月より断然少なかったんだけど、どこもアタリでよい月でした♪ もう7月って今年も後半か!夏バテとか言ってないでしっかりがっつり食事していきたいです。あ、でも個人的に最近探しているのは、おいしい蕎麦屋さんですね。誰か知ってたら教えてくださいませ。
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