2011/12/02

普通でありたい

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みんな自分にとって、”自分”をやっていることはとっても特別なことで、自分の人生の主人公は自分だけでそれはほかの誰とも決定的に違うわけだから、ちょっとは何か、自分が特別だったらいいのにとか思ってみたことはあると思うんだけど。

でもなんか、自分はどうやら普通らしいとか、大人になっちゃうと気づく人もどうやら多いみたいなんだけどさ。

普通でいることこそ難しいっていうアンチテーゼももはや良く聞くけど、それがどういう意味なのか最近よく考える。おそらく、「無為自然に構えて特段の努力をしないこと」ではないということだよきっと。僕が思う、難しく尊い「普通」とはさ、きっと、

「普通に考えたらどうみてもおかしいこと・納得いかないこと・不条理なことに対して、普通の感覚を保って、立ち向かうこと」

なんだろうと思った。素直に心に巻き起こった怒りとか不満とか疑問を、大人ぶって飲み込まないで、普通に、抗う。これが、難しい普通。


そういえば自分が通っていた中学校は「普通部」とかいうへんてこりんな名前でした。普通と冠しながらも内実は相当変わっていて、受験勉強とか無視していいので時間がガラパゴスのように暖かく自由にのびのびと流れていて、きっとこの環境はマイノリティなんだろうなあと在学中から思っていたことだけど。上に書いた”普通”の精神ってでも、あーいうことだったんだろうね。世の中とか大人とかが何となく成り行きでくみ上げたルールとか条件とかと離れた、本質的な学びを燦々と浴びていたような気がします、あの3年。幸福な時間だったなあ。

ということで、”大人”になってしまった自分なんだけど、「普通」でありたいなあという、中二病丸出しのメモでした。

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