2011/10/06

「まずやってみないとヤバいものは出来ない」:東京企画構想学舎 第2期 企画12人セミナー No.3 【猪子寿之氏】 その1

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第1期 伊藤学科のログはこちら(途中ですw)

1期・前回までのログ
  
東京企画構想学舎第二期3回目の講師は、エンジニア・クリエイターの猪子寿之氏。エンジニアとして学生時代から数々のデジタル作品を作りながら、現在はウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」の創業者として会社を経営する、常に新しい”ヤバいもの”を世の中にぶっ放し続ける猪子氏。「自分たちの好きなことを、自分たちの好きな形でやる」ことを第一に活躍される猪子氏の、企画やモノづくりの考え方や、これからの日本の進むべき方向について、示唆に富んだ90分でした。充実の内容でしたので、前編後編に分けて書いてみようと思います。今回はまず前編から。

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 猪子寿之 (エンジニア・経営者)
1977年、徳島市出身。2001年東京大学工学部計数工学科卒業。
大学では確率・統計モデルを、大学院では自然言語処理とアートを研究。
卒業と同時に、プログラマ(アプリケーションプログラマ、ユーザーインターフェイスエンジニア、
DBエンジニア、ネットワークエンジニア)、ロボットエンジニア、数学者、建築家、
Webデザイナー、グラフィックデザイナー、CGアニメーター、編集者など、
様々な、情報化社会のものづくりのスペシャリストから構成されている集団、チームラボを結成。
主な実績として、産経デジタルのニュース・ブログポータルサイト「iza」。
『花と屍(2008)』を仏ルーヴル宮内国立装飾美術館で発表。
カイカイキキギャラリー台北にて開催された『生きる』展にて展示した映像作品『生命は生命の力で生きている』を
第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画展へ出展。
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チームラボの作品を見てみよう
 
「まあ、とりあえず作ってきたものを見せます」

口で説明するのが回りくどいといわんばかりに、前置きもそこそこに作品を次々に見せ始めた猪子氏。自身もエンジニアであり、何しろ「形にできなきゃ何にもならない」というモットーを講演のスタイルから地で行く形でセミナーはスタートしました。まずはこれらの作品。

Case1
【新春特別講演・「龍と牡丹」より”剣舞影絵”】
2011年1月に行われた劇俳優・早乙女太一とチームラボのコラボ公演。
早乙女さんの肉体表現を、デジタルスクリーンによって拡張させ、
リアルな舞台装置では表現できないようなスピード感やスケールで、
舞台全体を演出した作品。




Case2
【チームラボハンガー】
「ブティックで服のかけられたハンガーを手にとる」
という行為をデジタル技術によって拡張させた作品。
ハンガーを手に取ると目の前のデジタルサイネージに商品情報や着こなし例が表示される。
上がノーマルバージョン。下が「リーボックカフェ」で行われたスニーカーバージョン。


「新しい価値や体験を生み出す時に、”新しい行為”を必要としてしまうと、そこに新しいリテラシーが必要になってしまう。それではわかる人とわからない人が篩い分けられてしまう。僕の理想は、”今までと変わらない行為”を”デジタル技術によって拡張する”こと。ハンガーを手に取るという、体験者本人の行為は普段となんら変わらないのに、そこに新しい体験を作ろうと思ってやった。」


普段の行為をインターフェースとしてデザインする。一部の高リテラシーの人しかついてこれないようなエクストリームな作品を作るのではなく、あくまでも誰でも直観的にわかる作品を作る。猪子氏の企画のモットーの一つがわかりやすく出ている作品かと思います。Case1の早乙女くんの作品も、観客に3Dメガネを強いたりしていないわけで、同じことが言えるかな。”普段の行為のデジタル拡張”という意味でさらに次の事例を。




Case3
【インタラクティブテーブル】
リーボックカフェに展示されたもう一つの作品。
「テーブルのコースターを手グセでいじる女の子」をみて思いついたらしい。
コースターを置く位置や、それぞれのコースターの相対的な位置関係によって、
テーブルのグラフィックが変化する作品。
”何気ない普段の行為が、デジタルでちょっと楽しくなれば”という
猪子氏の狙いを、遊びの感覚で作品にしたもの。




「モノを作るときに考えたことを、なるべく抽象化して概念にしていく。抽象化することによって、他のまったく違うジャンルやプロダクトのモノづくりをするときにも応用が利く。サイエンスな考え方なのかもしれない。」


計数工学科だったというバックグラウンドも関係しているかもしれないが、猪子氏の企画の考え方は、”成功の法則をサイエンスの視点をもって抽象化する”マインドと、”理屈ではない、なんだか気持ちいい・楽しいことを見つける、考える”という右脳のレセプターが両立しているように感じたんよね。右脳でセンサリングして、右脳で構想して、左脳でくみ上げて、左脳で法則化する。そのバランスが絶妙なんだろうな。それに加えてもう一つ、面白い極論を展開されてました。


「今までのプロダクトは、プロダクトそのものを良くしようと頑張ってきた。でもこれからは、プロダクトそのものはあくまでもインターフェースでしかなく、ネットワークの向こう側にあるデジタル体験を良くしようとする方がはるかに可能性があると思う。」


プロダクトは、「物理世界」と「ネットワークの向こう側」を結ぶゲートでしかない… 人間は物理世界の中にしか存在できない生き物なので、それをネットワークの向こう側の無限の可能性に、いかに無理なく気持ちよくいざなえるかが、インターフェースとしてのプロダクトの目指すべき性能なのではないかという猪子氏。「人間がネットワークの向こう側に生きれれば全部解決なんだけどね」と、マトリックスしかり攻殻機動隊しかりな世界観も語ってました。”人の何気ない習性”を”面白いインターフェースとしてのプロダクト”によって、未知の体験に引きずり込んだ作品をもう一つ。



Case4
【チームラボボール】
店内照明をインターフェースに、そこに新しいグルーブを生み出そうとした実験作
ボールには通信機能やスピーカーが内臓され、触るとそれをセンシングして色や音が変化。
それぞれのボールの反応同士も同期しており、
部屋全体のひとりひとりのバラバラな行動が一つの音楽を生み出す。
クラブでの実験を経て、音楽イベントでも展開した。

「音楽イベントはこれまで、プレイヤーとオーディエンスにパッカリ分かれてしまってて、そこを変えたいと思っていた。そしたらEXILEのライブDVDで黒いボールをオーディエンスの中に入れると、人がなぜか必死に触って突き上げているのを見て、”人はボールがボヨンボヨン飛んでくると触るんだ!”ということに気付いた。そこにさらにデジタルを乗っけて、会場全体が参加して一つのものを作るという実験をやってみた。」

新しいリテラシーを強い、新しい体験に無理やり引き入れるのではなく、思わずやってしまう人の無意識の習性にうまく入り込み、デジタルによってリブーストさせる。アフォーダンス的視点で世の中を観察することが、猪子氏の企画のタネの大きな要素なのかもしれないですね。その意識の向こう側には、”みんなを楽しませたい”という意識があるのかもしれない。「わかる人だけわかればいいさ」という、技術力を持ったエンジニアにありがちな発想とはむしろ逆の、どうやったら大勢の人を気持ちよくできるヤバいモノができるかという点に猪子氏の目は向いているのかも。”みんな”を意識した作品をさらに何点かご紹介。

Case5
「自分の書いた絵を人に楽しく見せる」という行為のハードルを下げたかったという
猪子氏の思いから発生した作品。
日テレやワコムなどのウェブサイトのコンテンツとして公開している。
線・スタンプ・動くアイコンなどを画面上に自由に配置し、
それらが決まった動きの中で有機的に反応、
カオスな動きを反復したり、それらから音楽が発生する。
誰でも簡単に面白い状況が作成でき、思わず人に見せたくなるという、
当初の狙いを形にすることができた”実験作品”。



「”表現”とか”デザインの仕事”って、20世紀ではマスが前提で、完成度が高いものを、職人が完璧に作り上げるというもんだったと思う。でもホントは人って、誰でも自分自身でもっと表現したいと思っていると思うし、デジタルやネットワークの力でそれが可能になってる。プリクラが写真を、ブログが文筆を、ボーカロイドが作曲を簡単にしたみたいに、絵をかくことを簡単にしたかった。」

猪子氏はニッチなある特定の人々を見ているわけではなく、あくまでも日本や社会といった大きなフィールドを見て企画を練っている人なんやなあと感じたわけです。そのためには、ある程度直観的に、フィジカルに、非言語的に理解できるもんじゃないといけない。非言語であることと、情報化社会と、一見矛盾するようにも感じる二つの概念の関係について、以下のように言及しておりました。

「情報化社会だからこそ、本当にヤバいもんは非言語から出てくると思う。言語化される領域は、共有されるスピードが高すぎて、競争優位性の必要十分条件にならないんだよね。ニュースキャスターよりも地元の人のツイートのほうが早い世界でしょ?言葉の壁だってだれかが訳せばそれまでのもの。日本が世界と渡り合っていくうえで、言語化される領域はしんどいよ。」


日本の”生き残り方”について

日本が世界と戦えるフィールドとして猪子氏は以下のようなレベルを見せてくれた。

【話してよくわかる】
【写真でみればわかる】
【動画で見ればわかる】
【体験してみればわかる】

下にいけばいくほど戦う余地があると猪子氏は言う。本当に突き抜けたヤバいものを作るには、体験のフィールドに入っていく必要があり、新しい体験が残されている可能性は、ネットワークの向こう側の方が大きいというわけです。ではなぜ、ネットワークの向こう側の方が可能性が残されているのか。デジタルテクノロジーについて猪子氏は以下のように言及します。


「デジタルテクノロジーって自然科学とは根本的に違うわけ。だって自然科学の法則に縛られなくていいんだから。でもデジタルテクノロジーの起源は、自然科学の応用から始まっているから、客観的現象や普遍的法則を無意識のうちになぞっちゃうんだよね。つまり、物理空間の法則に縛られちゃう。」


「でも冷静に考えれば、デジタルテクノロジーは自然科学に基づく必要なんかないし、それがないから可能性が物理空間より大きいわけ。だから、物理空間の客観的現象に基づくんじゃなくて、”人の心や感情の中にある主観的な法則”に基づいて作れば、自然現象をまねなくても人は受け入れてくれるよ。」


「客観的自然現象」ではなく、「主観的な人の行動・心理」を。人は主観で始まって主観に終わるという、ユング的な思想を持って人を観察することが猪子氏の人間論なのかもしれないですね。たとえばグーグルのページランクについても、”人は好きなページのリンクを自分のブログに貼りがちである”という主観的な行動を、”計数によってランク付けし検索可能対象にする”というテクノロジーによる拡張によりサービス化。さらに”人はランキングを気にする”というこれまた主観的行動と組み合わせることによって品質向上無限ループ構造を作ったというわけ。主観的行動と、法則化と、テクノロジーによる拡張。この3ステップがあるっていうわけです。

主観で始まり主観で終わるのが人間だとしたら、客観的思考や論理だけでは絶対に答えが出ないというのが、猪子氏の企画の流儀。だとしたら、すべての新しいことは「やってみないとわからない」ということです。猪子氏が【実験】を大事にするのはこういうことなんですね。何しろプロトタイプを作って実際に人の中に放り込んでみる。予想のつかないことを作ろうとしているのだから、やってみる前の予想はたかが知れている。だからこそ、実験に必要な”プロトタイプ”を手を動かして作れる人の時代が来るのだというのが彼の持論になるのね。

そのうえで、日本が生き残っていくうえでのキーワードとして猪子氏は”文化依存度”という言葉をだしました。”量”や”規模”の経済では中国・ブラジル・インドなどの高度経済成長国家には勝てないし、生産拠点としての存在では人件費の安い発展途上国には勝てない。資源にも国土にも乏しい日本は、これからどうやっていけばいいのか… 猪子氏は「文化依存度の高いものを作りまくるしかない」と言います。

「文化依存度って要するに、”そこに生きてきた人に共有されているノリとか空気”ってこと。それが高いっていうことは、面白いとかカッコいいの理由が言語で説明できないってことだし、他の文化で生きてきた人間には絶対に思いつかないってこと。日本人は、日本の文化をもう一度よく見つめなおして、自分がどの文化に知らず知らずのうちに依存しているのから自覚的になったほうがいいんじゃない?で、そのうえで、テクノロジーによってそれを再定義・拡張して、新しい体験を作ってあげること。唯一ジャパンが生き残る産業はこれしかないと思うよ。」

文化依存度の高い、ヤバいもの… 自分たちの文化に対する理解を深めて、技術力を持ってモノを作っていくということとは具体的にどういうことなのか? 前編はここまでにして、後編ではそれらについてご紹介しようと思います。


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講義から、考えたコト

猪子氏の話す姿をみて感じたのは、「クラフトマン」としての彼と、「サイエンティスト」としての彼の両面でしたね。

決して饒舌ではなく、若干話すのが面倒くさそうな印象の猪子氏。能書きではなく、実際に作って見せて、体験させた方がいかに自分が本当に届けたい価値が届くか熟知しているんだと思う。言語を超えて非言語で体験をさせるというクラフトマンとしての企画スタンスが講演そのものにも出ていたと思うん。いいから作ってみる。いいからやってみる。いいから動いてみる。そしてどんどん失敗すればいい。サイエンティストというと理屈コネコネしてややこしそうな印象を受ける人もいるかもしれないけど、成功の何百倍も失敗しているわけだからね。そういう意味では、クラフトマンもサイエンティスト根っこの部分は一緒なのかもしれない。【企画】という単語はほとんど使わずに【実験】という言葉で自分の作品を説明する彼が印象的でした。

その一方でサイエンティストっぽい側面として感じたのは、「抽象化」のくだり。事象を抽象化し、概念にして応用するというのは、数学の定理を探すような、あるいはフクロウの羽の原理を電車のパンタグラフに活かすような、科学的側面を感じたんです。僕が尊敬する企画者の一人の佐藤雅彦氏の言葉でいう、「ルール」と近いとらえ方だと思うんだけど、法則を発見し、反復応用していくことで、ジャンルをオーバーラップして新しいことを作っていく。それによって、単発の企画を毎回ゼロから考えるのではなく、自分という脳みそにナレッジの闇鍋を煮て作っていくようなスタイル。これがしっかり取れれば、人生のすべての経験が企画の糧になるんだと思う。流儀を持つってそういうことなんだろうけど、猪子氏の、時に奇抜で奇妙だと思われる言動行動は、彼なりのルールやスタンスにのっとった確固たるもんなんやなあと気づけた講義でした。
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次回は後編。”文化依存度の高いモノづくり”と”日本が世界とこれからどう戦っていくか”について。いちエンジニアのマインドをはるかに超えた、視野と展望の広さと、企画力のヤバさを痛感した後編でございます。カミングスーンになるように頑張りますので、しばしお待ちを…



(文・吉田将英)

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